【入院24日目】あたたかい
入院24日目。
今日も相変わらず低血糖。血糖値を測る時に、看護師さんが、既にブドウ糖を持ってくるようになった。しんどくないですか?頭痛いとか、気持ち悪いとかないですか?と具体的に聞いてくれるようになって、とても楽になった。ありがたい。ちっちゃな心遣いに、あさイチから感謝した。
今日は、午前中は眼科、午後はLDLアフェレーシス治療の5回目(最終になる予定)だった。10時半に、眼科に呼ばれ、外来まで歩いて行った。首にカテーテルをしているからか、受付でも、診察室内でも看護師さんたちが、とても優しかった。
歩けますか?痛くないですか?歩いて戻れますか?めがねとれますか?見えますか?
ひとつひとつ、丁寧に、私の様子を見ながら声をかけてくれた。部屋以外にほぼ出ないで過ごしているからか、ふわっふわして歩いていたのかもしれない。疲れていた私の心には、小さな声かけ1つ1つが、こころに滲みて、じんわり泣きそうになった。
眼科の先生も「入院、ずっとしているんですね」と。
眼圧は問題なく、目がかすむことを伝えたら「白内障が少し出てきてますからね」と。前の診察でも言われていたので、そうだったなぁと思った。私の、この目に見えている世界は、当たり前じゃないだなと感じた。今見えている世界は、明日見ることができるのか分からない。
そんな、当たり前のことを、ふっと思った。
今、私の目に見えているものを、目に映るものを、たくさん焼き付けておきたい。目が見えなくなる病気じゃないけれども、たくさんの【たいせつ】を、こころに留めておきたいと思った。
病棟に戻ると、あっという間にお昼ご飯の時間となり、そのあと、LDLアフェレーシス治療の時間になった。3年目の看護師さんと、おしゃべりしながら透析室まで歩いていく。
何気ない会話をしてくれて、あたたかさを感じた。「ここの廊下冷えませんか?」そう、それだけだけど、それだけでも、なんか、ほっこりした。私の心が穏やかになってきたのだろうか。力が抜けてきたのだろうか。トゲトゲしてしまわなくなった気もする。でも、そういう声かけに、ほっとした。小柄な、若めの看護師さん。3年目って、色々責任も増えてきて、大変な時期だろうなって思いながら、心の中で、がんばってって思った。
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LDLアフェレーシス治療は、技師さんとも顔なじみになり、機械の操作も、技師さんたちが慣れてきたように感じた。相変わらず、ウトウトしながら過ごした、
管が少し曲がっているだけで、圧力が変わったり、脱血が上手くできなかったり、そんな繊細な機械みたい。今日は1回、ピーってなったと思ったら、少しだけチューブが曲がっていたようだった。
今日で、最後になりそうですね。と声をかけてもらって、嬉しくなった。ウトウト目をつむって過ごしていたら、主治医の先生が来て、声をかけてくれた。蛋白尿は、ゼロでしたよ。って。寛解維持できていますよ。と声をかけてくれ、動けないのもあって、「よかったです。ありがとうございます。」とだけ答えた。
よっぽど、今日の採血結果が悪くなければ、明日、首のカテーテルを抜いてもらえる算段になった。カテーテルを抜くという工程自体が怖いけれども、首に何か刺さっている状態で過ごした、この2週間は、肩に力が入って、グロくて、お風呂にも入る気にならなかったり、消毒が痛かったり、本当にしんどかった。
段々と痛みも引いてきたけれども、やっぱり痛いものは痛いし、怖いものは怖い。明日が怖いけれども、もうすぐにでも抜いてほしいくらいの気持ちだ。イソジンの赤い消毒剤が、血液に見えて、本当に怖い。よく耐えたなぁと、今更ながら思えてきた。やっと、少しずつ頑張ったこと、頑張っていることに目を向けられるようになってきた来たする。
中々、つらいときに「つらい」と思うことは、難しい。
頑張ってるね、しんどいよね、手でもさすってあげたい、そんな言葉をかけてもらって、ハッとする。私って、頑張っているんだって、やっと気づく。
「つらい」「しんどい」って、認識できると、やっと言葉にできて、やっと感情がそのあとついてきて、やっとのことで、少しだけ涙が出る。そんな、気付かずに溜め込んだ感情は、いろんなイライラになって、他の人を攻撃してしまったり、自分を攻撃していまったりしていたように思う。
今でも、そういう感じはあるのだけれども、入院当初よりは、楽になってきた。だから、頑張ってるねって、声をかけてもらえるのって、認めてもらえるのって、ありがたいと思う。本当に、思う。
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あっという間に、夕方になった。
明日は、夫は早番で、しかも、仕事はいつもより3時間くらい残業がある日。とても忙しい日。大変だろうから、面会やめて帰って休んだら?ってメールを送ろうと思ったけど、本当は会いたいし、明日は会えなさそうだから、さらに会いたくて、メールを送るのを辞めた。
夫が面会に来てくれてから、明日早番だけど大丈夫?昨日は、夜勤明けの休みで、たくさん動いてたけど大丈夫?と声をかけた。今の私にできるのは、そのくらいだった。夫は、来てくれてから、私の手を握っていてくれ、一緒におしゃべりをしてくれていた。
私は、テレビを見ている夫を見ながら、笑っていた。夫は、テレビを見ていた。
そして、何が面白いの?と、まったくテレビを見ていない私は、夫に尋ねて、おしゃべりして過ごした。
家にテレビがないので、テレビを見るということが久々だった。「テレビ見てると欲しくなる?」と聞いたが、「いらない。テレビ売っちゃおうか」と夫は話した。二人の時間を、お互いを感じながら過ごせる時間が、しあわせだった。
夕焼け空を見ながら、夕飯が何だったか話しながら、「また大根だった?(夫は大根が嫌い)」と聞かれながら、笑って、何を食べたのか話した。
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退院したら、九州に旅行に行こうと思っていたけど、飛行機に乗るのは主治医にとめられてしまったことも話し、退院してから、2連休で石川県に連れて行って欲しいとねだってみた。
座敷で、ごはんが、こーんな風にならんで、出してもらえて、食べれるやつやってみたい。
とリクエストしてみた。そしたら、「こうやって、カチって、火をつけてグツグツするやつもついてくるやつでしょ?」と、返され、「そうそうそれそれ」と笑って話した。朝ご飯も、お部屋に運んできてくれて、ふかふかのお布団を敷いてもらって、…、お風呂は、(感染もあるから)難しいかもしれないけれど、なんて話しながら、二人で妄想を膨らませた。
普段、ゲストハウスや、安いビジネスホテルばかり泊まって、いろんなところに出かける旅行をするので、のんびりする旅行は、実際、二人でほとんどしたことがない(笑)だから、二人とも分からないことだらけなのだが、そんな、楽しいことを考えて、妄想しながら一緒に過ごした。
ぁぁ、とてもしあわせだと思った。
薬の副作用で、ほっかほかの手を握っていてくれながら、温まりすぎて、夫は眠たくなったようだった。今日は、キャベツが98円で、胸肉が38円でね、なんてことも教えてくれた。美味しそうなキャベツだったらしい。
美味しそうな野菜を見つけて、嬉しくなる私の癖が、結婚してから、夫に伝染した(笑)そんなことも嬉しい。
昨日は、ちゃんとご飯食べた?
冷凍のチャーハン買っていったら楽だよ?美味しいよ?本格炒めチャーハン。
明日は冷えるって。銀色のシートちゃんと敷いた?
今日上着着てきた?寒くない?
そんな質問攻めも、ついついしてしまう。夫が、元気でいてくれるのが嬉しい。
今日は、こころがほかほかして、あたたかい日だった。
明日は、カテーテルを抜く日だから、緊張しちゃうけれども、治療が前に進んでいるのを感じながら、穏やかに過ごしたい。
なんだか、心が穏やかで、ふわっと、涙がやっとこぼれてきた。すぐに止まっちゃったけど、「ぁぁ、入院つかれたなぁ」って思えた。
そして、やっぱり、友だちに会いたいなぁと思うのだった。
また会おうね、また一緒に歌おうね、また一緒にご飯行こうね、会いに行くね、そんな風に声をかけてくれる友だちがいるのが、とてもとても支えになっている。
【入院23日目】先が見えてきた日
入院23日目。
退院の目処が、少しずつ立ってきた。
決定ではないけれども、数値もよく、先週の土曜日に7回採血した検査結果もバッチリよかったと話を聞いた。
明日、LDLアフェレーシス治療を終え、その検査結果が良ければ、土曜日には頸部カテーテルを抜いてもらえる予定だ。嬉しい。なんと嬉しいことか。
ステロイドで、ぼろぼろになっているけれども、先が見えるというのはこんなにも気持ちを明るくさせるものかと思う。これから、徐々に強まっていくだろうステロイドの副作用は予測がついているのだが、それに凹む自分も、自宅に戻って泣くであろう自分も予測がついているのだが、それでも、前に進んでいることが嬉しくてたまらない。
入院した時には、先が見えず、すべてが不確定で、どうなっていくのかが分からず、不安で仕方がなかった。
ここまで、ツイッターやメールで支えてくださった方たちに、本当に感謝しかない。たくさんの支えがあって、声かけがあって、耐えてくることができた。
ネフローゼ症候群の子どもさんを持つお母さん方の強さや、その当事者の子どもさんのエピソードに支えることは何度もあった。本当にたくさんあった。
プレドニンの治療をしている、難病の方たちに声をかけてもらって、助けられることもたくさんあった。何気ないツイートに救われたり、綺麗な料理の写真に救われたり、なんでもないツイートに救われたり、たくさん助けてもらった。
夫も、疲れが出てきて、肌があれている。
お互い疲れたねって、言い合える関係性でよかったと思う。私だけ疲れているからって言わない夫で本当に良かったと思う。一緒に頑張った、一緒に頑張ってる、そして、そこに、本人が一番大変だと思うからよく頑張ってるねって付け加えてくれる夫で本当に良かったと思う。
明日の、LDLアフェレーシス治療が最後の今回の治療になることを祈って、全身全霊で祈って、検査結果がいいことを祈って、土曜日にカテーテルを抜いてほしい。
首の血管に、管が刺さっている状態なんて、今日のハロウィンで終わりにしてもらいたいものである(笑)
明日から11月。今回の入院は、30日くらいで終えることができるだろうか。
Wi-Fiの契約を1か月で契約しているので、延長は出来るのだが、めんどくさいので、30日で退院できると、手続きをしなくていいので、来週末には退院出来ているといいなと思う。
今日の、夕方、ふと、空を見上げたら、三日月がとても綺麗だった。
スマホでは、ピントが合わなくて撮れなかったのだが、とてもとても綺麗だった。
今日も、ゆっくりと、穏やかに眠れますように。
夜ご飯に好きなものが出ますように。
そんなことを思いながら、夕方の時間を過ごしている。
そんなことを思える時間が幸せな私の、人生の時間だと思う。
夫は、私の車の点検に行ってくれた。また、ご飯の時間の戻ってきてくれるので、楽しみにして待っている。そんな時間も、また私の人生の一部なのだなぁと、思う。
この一年、本当に「生きるとは」ということを、考えてきた、感じてきた一年だったなぁ。私は、これから、どのくらい、どんな人生を送るのだろう。
叶えたいことを叶える人生を送りたい。
心からそう思う。
【入院22日目】楽しいこと、嬉しいこと、休むことへ意識を向けられた日
入院22日目。
ステロイドの副作用で、目がかすむ、顔はニキビどころじゃなくゴシャゴシャなくらい挫創になっている、顔は髭どころかもじゃもじゃふさふさ、家に一人でいたら号泣していそうなありさまだ(笑)
病院にいるから、治療をしている場所だから、看護師さん、主治医の先生たちがいるから耐えられている気がする。
体調は良くなり、「トラマール」という癌の痛みの緩和に使う痛み止めを飲むほどの生理痛も引いてきた。一昨日、昨日の夜は、死ぬほど痛くて、「トラマール」を飲んだら、目がぐるんぐるんに回って、気持ち悪くなったりしていた。
痛みも引いて、薬を飲む必要もなくなり、湯たんぽもいらなくなった。今は、夫が持ってきてくれた貼るカイロをおなかに貼っているくらいで大丈夫。これで、もうしばらくは大丈夫。
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今日の、刺入部の処置は10時くらいに終わり、そのあとは、自由な時間になった。なんにもやる必要のない自由な時間。
久々に、他のブログの更新をし、ツイッターでも明るい話をお友達と出来、楽しかった。何より、生理が終わりかけの体の軽い感じが、私の心も楽にした。
LDLアフェレーシスについても、資料を頭で整理しなおして、まとめてブログの記事として上げておいた。検索からたどり着いてもらうのは難しいだろうが、誰かの助けにどこかでなるといいなと思う。
本音を言えば、その記事が必要のない、治る病気になっている時代を心から願っている。こころがはしゃぎすぎたのか、15時くらいに凄まじい眠気に襲われ、昼間は起きて夜しっかり寝たいと思っていたところだったが、諦めて横になった。
ウトウトと休み、少し眠った。痛みもなく、とても心地よかった。
「ちょっと疲れたから、ちょっと横になって休憩をする」
そんな当たり前の感覚を味わえたのが、とても心地よかった。個室なので、テレビは無料なのもあって、つけっぱなしで、ウトウトとしてみた。とても心地よかった。夕方のこの時間で、まだ眠たいが、そろそろ夕飯。
今日の昼間の空は、とても綺麗で、夕方の空の色もとても綺麗だった。フォロワーさんが教えてくれて、ふと目を向けることができた。昼間は日差しがあって、暑いくらいでカーテンを閉めていたから。
治療は続くけれども、健康的な部分を感じられる時間は、とてもしあわせだ。オダギリジョーの天体観測のドラマを私も見たい。ぁぁ、レンタルビデオ屋さんに行きたいなぁ。
(LDLアフェレーシスの効果で、ネオーラルが効いてきているのか?ちょーっと3,4日前から手の震えが出てきているような気のせいなような…?とりあえず気になったのでメモ)
秋鮭を食べたいと思って、フォロワーさんとお魚の話をしていたら、鮭のムニエルが、こんな大きな大きさで出てきた(*´ω`*)
夕飯がとっても豪華でびっくりした笑
小学生の頃から、ご飯は自分で作ることが多かったから、誰かに作ってもらうご飯を食べることに違和感がある方で、出されたものを食べられる夫を見て「すごいなぁ。自分で作りたくならないのかなぁ。」なんて思うことも多いのだが、自分の味付けじゃないご飯も美味しい。
でも、やっぱり、自分でご飯を作る時間を持ちたくてウズウズしてしまう( *´艸`)
【入院21日目】体調が安定してきた
入院21日目。
入院時から体調が悪かったわけではないのだが、入院したことでのストレスを強く感じていた頃やステロイドの副作用でだるかった頃と比べると、ここ数日で一気に体調がいいことが増えた。
だるくて、気持ちもふさぎ込んで、イライラしてどうしようもないっていう感じだったのだが、それが、すーっと引いて言った感じがする。
ご飯を美味しいと感じてゆっくり食べることができる、何気ない昔の写真を見て懐かしむことができる、ツイッターでお酒や映画の話ができる。そんな「普通」な感じが感じられる。
座って過ごせる、気持ちが落ち着く、考えをまとめることができる。そんな感じ。
今後のために、今回の入院では念入りに、薬の調整をし、検査をし、治療をしっかりとしていく。過去2回の入院では、15日くらいからパニックになって、入院していられなくなった。今回は、そんな過去のこともあったから、早めに個室にしてもらえ、環境を調整して、私が入院していられる・治療を続けることができる環境にしてもらえることができた。
もう、来週には退院できないだろうかなんて思っていたけれども、あと2週間くらいは、しっかりと治療をしていく、経過を見ていくみたい。薬の量と検査結果を照らし合わせながら、私に最適な薬の量を調節していく。
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落ち着いていられるのは、首のカテーテルの痛みが引いてきたのもあるかもしれない。毎日、消毒はあるのだが、その処置の時の滲みる感じも、すこーしずつ和らいできた。シャワーを、そーっと浴びるのも慣れて、3日に1回くらい入る気持ちにはなれるようになってきた。
看護師さんたちに、しんどいときに「しんどい」って言えるようになってきた。
何気ない、病気以外の会話をできるようになってきた。
ツイッターでお話ししてくれる友だちがいてくれる。
病気以外の健康的な気持ちを、時間を過ごせている時間が私を救ってくれているのだと感じる。病気になって、仕事を辞めて、友だちとの連絡も疎遠になってきて、連絡を取れる人って、やっぱり少ない。
そんな時に、話しかけてくれる、ツイッターのお友達、病院のスタッフさんたちに、救われているのを感じる。1年間の、自宅療養生活の、ボッチ生活よりも、よっぽど救われている。
いろんな経験、いろんな気持ち。書き留めて、書き留めて、またまとめて、誰かの助けになったらいいなぁって思えているのは、ブログをやってるからかな。検索から読んでもらうのは、やっぱり難しいなぁと思うこともあるけれども、大切に綴っていきたいなと思うのは、きっと、自分のため。
「この時、こんな気持ちだったんだな」なんて思うと、日々の色んなことは、苦しくても一瞬で、一生続くわけじゃないって思えたりする。楽しかったことを振り返って、にやにやしたりする。
このブログもそう。
漠然とした「体調が安定してきた」よりも、こんな風に数日前は思っていたんだなぁなんて、文章で綴られていると、前に進んでいることを感じられる。
やっぱり、書き留めておくこと、私は好きだなぁって思う。
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LDL-アフェレーシスは、一応金曜でラストの予定だが、数値を見ながら、追加でやるかもしれないとのこと。
先週、月・水・金で実施したのは、寛解状態を促進させるため。今週、月・金で実施するのは、寛解に既に持っていけているため。
ネフローゼの症状の出方としては、
蛋白尿→浮腫→LDL上がる
という順番と教えてもらったので、今更ながら少し上がるかもしれないから、その様子を見ながらやるみたい。今回は、浮腫もほぼ出てない状態での入院だったから、余計に、ゆっくり今更LDLが上がるかもしれないため、様子を見ながらっていう感じみたい。
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あと、巣状分節性糸球体硬化症かもしれないけど、分からないけど、みたいな状態で治療を進めているけど、MCNSかFSGSか、はっきりと分かれ切らないこともあるみたい。
「その気があるかもしれない…人もいるかもしれないし、MCNSの他の分類かもしれないし、ぱきっとわかれるものでもなく…、MCNSって断定して治療を進めるというよりも、経過を見ながら、どんな感じで、薬に反応しているかを見ながら進めるのがいいという感じで」
みたいな感じに主治医の先生は話していた。
もちろん、膜性腎症とは、違うけれども、MCNSかFSGSかが重要というわけでもなく、どの治療が、どの薬が、その人に最適かが大切。
LDLアフェレーシスが効くかもしれないし、リツキサンが効くかもしれないし、それは、環境によっても異なるだろうし、働き方によっても、…いろんな面があるから、一概に、
プレドニン→ネオーラル→LDL-A→リツキサン
という強さで進んでいくというわけでもないよう。セオリーはあるけど、どれが【正解】ということもない。MCNS、FSGS、年齢、薬、治療、どれも、人それぞれ。
ゆっくり、じっくり、決めつけることなく、絶望することもなく、共に生きていくことが大切なのかもね。
【入院20日目】入院生活に慣れてきて、カテーテルの痛みも引いてきた
入院20日目。
入院保険、1日4500円のものに入っているので、今日で9万円ゲット。そんなことを思う(笑)
入院生活の中で、ナースコールを押せるようになり、看護師さんに不調を伝えられるようになり、しんどい時にきちんと「しんどい」サインを出すことができるようになって、精神的にかなり楽になった。
どれだけ追い詰められなければ、私は「つらい」サインを出せないのか(笑)今後の生き方も見直そうと思った。こんなにため込むのは、さぞ身体に悪い('ω')
入院生活で得られた、大きな収穫だ。
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今日は、ステロイドざそうのための皮膚科受診と4回目のLDLアフェレーシスの日。
朝から、血糖66という低い値をたたき出したものの、自覚症状はなし。夜もよく眠れ、20時から朝の6時半まで眠ることができた。トイレは数回。久々によく眠れた感覚がある。気持ちがいい。(血糖は低いけど(笑))
昼間の体調も良く、座って過ごせることも今日は割と長かった。だるさも、痛みも、さほどなく過ごせている。家にいる時と比べたら、そりゃだるけれども、入院中では、体調がいいなと感じられる1日だった。
午前中に皮膚科に呼ばれることは結局なく、午後からLDLアフェレーシス4回目を行ってきた。技師さんも慣れてきたのか、段取り良く、2時間半程度で終了した。途中、刺入部がきゅーっと引っ張られるような感覚があった時に、アラームが鳴って、脱血が一度止まったが、刺入部への圧が一時的に上がったため、痛みが多少あったのかもしれないということだった。
その後、何もせずともすぐに脱血が再開され、最後まで問題なく終わった。
技師さんと話をする余裕もあり、ぼんやりとしながら相変わらず過ごした。(あぁ、最初の採血時に、新人技師さんが血液を吹っ飛ばしたということがあって、ちょっとびっくりした)
途中で、主治医の先生も顔を出し、明日からプレドニン40mg/日から30mg/日に変更になった。減薬は嬉しいものだ。ついでに、ネオーラルが匂うことと、今までシクロスポリンカプセルを飲んでいたが、薬の変更をして影響がないのか、どちらを飲んでおいた方がいいのか尋ねたら、また確認をしておいてくれるということになった。
あまりに匂いが違うことを伝えたら、「そんなに違うんですか?」と驚かれた。驚くほどに違う。「添加物とかですかね」と先生は言っていたが、あんなにも違うと、違う薬なのではないかと思うほどだ。
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LDLアフェレーシス終了後の刺入部の処置は、しみることと、顎と鎖骨部が固定されると動けなくなるため座ってテープを貼って欲しいことを伝えると、看護師さんが「わかった。やってみるね。」と試行錯誤してくれた。
徐々に刺入部の痛みは和らいできており、テープ固定位置も普通に動作ができる感じに貼ってもらえていて、本当にありがたい。テープの固定位置が改善したおかげで、肩や背中、首の緊張が少しずつ和らいできて、身体も楽になってきた。座って過ごせる時間も増えた。
伝えるって本当に大事だ。
「言われないと分からないからね」と言われ、ほんとだよなと思う。
苦手だからこそ、ちゃんと意識していかなければなと思った。
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今日の夜の面会は、夫は20時まで面会していってくれた。ベッドに座り、私の足に触れ、なんでもないことを話した。話さずにぼんやりと、過ごす時間も多かった。この「何でもない時間」が、リラックスできる時間になっている。夫も、リラックスできると言ってくれるので、【何もせずとも二人でいる時間】がいつもこんなにも大切だったんだと感じる。
ただ、そこに誰かがいる時間が大切だったんだなと。
「退院したらスシロー行こうね」と夫が話してくれた。昨日か一昨日には、「早く帰ってきてほしいよ」とぽろっと言ってくれ、そんな風に思ってくれてるんだなと思って、嬉しくなった。やっぱり、口に出さないと人の思いは伝わらないものなんだ(笑)
夫が帰る前に、生理が来た。私の生理は、毎月死ぬほど重い。タンポンと布ナプキンを持ってきてもらっておいてよかった。トラマールという痛み止めを飲み、看護師さんに肩を温めるためのタオルと、湯たんぽをお願いした。
トラマールの影響か、多少気持ち悪かったが、あったかくして少し和らいだ。
今日は、心穏やかに過ごせた1日だった。LDLアフェレーシスもあと一回で終わりが見えてきたのが大きいかもしれない。首のカテーテルは、すぐに抜いてもらえるのかな。なんてそんなことを考えながら、そして、もらえる入院保険の金額をついつい計算してしまいながら過ごしている。
今回の生理が、軽いものであるように、心底願っている。もうすぐ、11月。外は寒いらしい。
プレドニンの副作用が、段々強く出てきて、それはつらいものの、蛋白尿は出ていないし、刺入部の痛みは和らいできたし、治療も進められているし、先の見通しが立っているって素晴らしい。このまま順調にいけますように。
今日の夕飯の大根の煮物がとても美味しくてしあわせだった。
【入院19日目】傾聴してもらって、心の結び目を解いてもらった日
入院19日目。
昨日は、採血7回(1時間ごと)や、洗髪、テープの位置の交渉などなど、色々と忙しい1日だった。抹消から2回は採血を採られ、イライラしてしまい、心にも余裕がなかった。
主治医から謝られたが、看護師さんのせいにしてしまったり、いろんな人に対して心がトゲトゲしてしまい、それを隠すのに必死だった。閉じ込めた気持ちは、自分の中で、モヤモヤとなって、自分を攻撃した。
入院も19日目になり、こころは、もう疲労困憊。色々なものを、隠しきれず、ここ数日決壊したままだった。夫にたくさん愚痴を聞いてもらい、勝手に誰かを悪者にし、イライラの対象にした。看護師さんに八つ当たりをしてもしょうがないので、とにかく夫に聞いてもらった。
正しいのか正しくないのかなんてどうでもよかった。誰かのせいにしたかった。
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昨夜は、22時ごろに寝たはずなのだが、0時半に目が覚めた。そこから寝付けず、どんどん目が回ってくるのを感じた。数日前にも同じような症状が夜中に出て、眠れなかった日は、60台の低血糖だった。夜間の低血糖だったら、それは困ると思い、入院してから初めてナースコールを押した。
むしろ、今まで調子が悪くても、「大丈夫」と言ってしまったり、ナースコールを押せなかったりしていた。【多少のこと】と、多くのステロイドの副作用と、多くの疲れと、気のせいと…いろんな言い訳をして、伝えてこなかった。小さな不調は、どれがなんなのか、もはや訳が分からなくなっていた。
言い出したら、キリがないくらい不調だった。本来は、全部言った方がよかったのかもしれない。そんなことを思いながらナースコールを押した。
私、成長したな。
ナースコールを押すと、すぐに「今から行きますねー」と優しい声で答えてくれた。気持ち悪いこと、回転性のめまいがあること、頭が痛いこと、ふわふわすること、寝付けなくなったこと、数日前に同じ症状が出た時のあさイチの血糖が低かったことを伝えた。すぐに血糖測定をした。97だった。
血糖は問題ないため、頭が痛いこともあり、筋緊張性の頭痛かなと思い、伝えた。カロナールを飲むことになった。結局、朝まで全く眠れなかった。
私の部屋の、隣の個室の脳性麻痺の男性患者さんの「んーーー」という声が今夜は大きい。寝言なのか、お母さんと話をしているのか、それすらイライラしてしまうほどに余裕がなかった。
朝方6時半ごろになると、「んーーー」という声は、だんだんと小さくなったが、もう眠れなかった。心はトゲトゲし、余裕もなかった。朝の血糖は、79でギリギリひっかかった。相変わらず、頭が痛い。
朝食の配膳はされるも、15分ほど待ち、再度血糖を測って86。ブドウ糖はもらわずに、朝ご飯のジュースで許してもらったため、上りは緩やかだった。私は、普段、低血糖な人だったのだろうか。そんな自覚もなかったのだが。
朝ご飯を食べ、いつもの「ごちそうさまでした☺」を、カードに書く元気も、心の余裕もなく、書くことができず、「(余裕がなくなったわ)」と思った。頸部カテーテルはあと一週間は最低でも続く(金曜日にLDL-アフェレーシスがあるため)。
あと一週間、私は持つのだろうか…とそんなことを考えながら、タオルを顔にかぶり、ふとんをかぶり、痛くない姿勢で、引きこもった。
今日の担当の看護師さんが、声をかけてくれ、私の安心する担当NSさんでよかったと思ったも、返事が出来なかった。「また、あとできますね」と声をかけてくれ、お昼前ギリギリまで、そっとしておいてくれた。血糖・バイタル・消毒・処置をまとめてやってくれ、話を聞いてくれ、一気に心が救われた。
昨日の、あさイチの採血も、主治医の指示が出ていないと、頸部カテーテルから採血ができなかったということを教えてもらい、「主治医の指示忘れだったのか…だから先生が謝ったのか」と思った。看護師さんに八つ当たりをしなくて、本当に良かった。
聞いてもらえ、誤解を解いてもらえ、ぎゅっと力が入って、こんがらがって、からまりまくっていた心の結び目を解いてもらえ、かなり楽になった。
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入院は、どう考えても、最短でも25日間までは、絶対いることになる。入院日数×入院保険を毎日毎日計算してしまうくらいに、私は家に帰りたいと思っている。
25日もいたら、10万円は入ってくる。そんなことを励みにして、毎日何とか過ごしている。シャワー浴をするのも、今日声をかけてもらい、「シャワーを浴びたい」という気持ちを掘り起こしてもらった。入ってしまえば、気持ちよかった。
「~をしたい」という気持ちが、薄れてきているのが、わかる。【患者役割】に染まってきているのが、感じられる。長く入院したり、長く施設にいる人を支援する仕事をしてきたが、自分が過ごしたい環境で生活できるとは、なんと幸せなことなのかと、今更ながら感じた。
そして、また、患者であるのであれば、伝える努力をしてたくさん助けてもらわなければと思った。とにかく、もう、疲れた。
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ステロイドの副作用で、顔はステロイド挫創となり、痛みとかゆみが出てきた。顔は、ニキビどころじゃなく、ボコボコ。明日は、皮膚科受診と、LDL-アフェレーシスだ。とにかく、疲れてきた。
自由にお風呂に入り、自由に寝て、自由に食べて、家でごろんと過ごしたい。
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18:45追記
夫と「あっぷっぷじゃんけん」をして、おやすみなさいをした。お文具さんのツイッターを一緒に見て、肯定ペンギンの話をして、ふるさと納税のかにが早く出ないかなと楽しみにしている夫の話を聞いて、嬉しかった。
小さな日常が嬉しかった。
肩や背中の痛みについても、看護師さんに伝えたら、あったかいタオルを持ってきてくれた。声をかけて気にかけてくれるようになった。やっぱり、ちゃんと言葉で伝えなきゃと思った。
少しだけ前向きになれた気がする。声をかけてもらったおかげだと思う。「また元気になるの待ってるね」の声に支えられる。一人じゃないって思える。今回の入院は友だちにも伝えてないから、余計に明日で20日になる今になって、ツイッターで声をかけてくれる友だちや、知り合った方たちの声に支えられるのをすごく感じた。
本当に、ありがとう。本当に、ありがとう。
私のこんがらがった心の結び目を、いろんな人に解いてもらった日だった。ありがとう。涙が、出る。ありがとう。わたし、がんばってきたんだね。がんばってるんだね。
ありがとう。
明日も、生きるから。今日も、生きたから。
みんなが、しあわせでありますように。
今日の夕飯のカードには「ごちそうさまでした」と書けたよ。
【入院18日目】昨日はLDL-A、3回目が終了。本日は、ネオーラル血中濃度を測定する採血7回の日
入院18日目。
昨日は、LDL-アフェレーシスの3回目が終了した。病院に1つしかない機械なのか、たまたまネフローゼの患者さんがもう一人かぶるみたいで、調整をしていた。
LDL-アフェレーシスにも慣れてきて、2時間から3時間ほどで、3リットルの血液から、血漿と血球を分離させ、血漿からLDLを吸着して身体へ戻すというのも、ちらりと機械を見るくらいの余裕が出てきた。
あと2回。来週の月曜・金曜になるよう。早く終わって、CVカテを抜いて、頭を洗いたい。
本日は、ネオーラルの血中濃度を測定する日だ。
朝、私が7;48に薬を飲んだら、そこから「よーいどん」。ずれることは許されず、看護師さんが採血をしに来る。今日担当の看護師さんは、一日気が気でないだろう。私も、そわそわするので、協力していく。「忘れそうだったら、ナースコール連打してください」と言われ、5分前に来なかったら、私はナースコールを連打する算段だ。
ネオーラルが、私の体の中でどの程度の血中濃度になっているのか、最高値はどこか、正確に測るために、今回の入院で、CVカテが入っている間(針を刺さなくてもいいから)に、血中濃度を測るための採血を一日7回も行う検査が今日行われることになった。
これについて少し説明を加えておく。
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私の治療において、1年間で3回再発している。MCNSなのかFSGSなのかは分からない。それは、いったん棚上げしておく。
LDL-アフェレーシスの治療は、ネオーラルの細胞への取り込みを後押しする治療だ。(ネフローゼによって上がったLDLを一旦正常値へを戻す目的もある)。ネオーラルが一番私の体に効いてくれる状態を把握し、そのうえで、量を決め、プレドニンを徐々に減らし、そして、何年もかけて、寛解状態を維持しながら、ネオーラルを減らしていくという方向だ。
そのために、LDL-アフェレーシスを行うのであり、ネオーラルの血中濃度を測定する。人の体によって、薬の効きや、濃度は微妙に異なる。そのための検査だ。私に【最適】な、薬の量を処方するためである。
今までの1年、プレドニン15mgで再燃、30mgで再燃を押さえられず、60mgで再燃を抑える、7.5mgで再燃(シクロスポリン110mg併用)といった具合だった。さらに、その先へ進むための、前進のための、入院だ。そして、再燃だった。
再燃は、必ずしも、【振り出し】ではない。
経験や、結果、データは必ず蓄積する。だから、前を向いて、次の治療へと進めたことを前向きにとらえたい。
再燃したら、またLDL-アフェレーシス、と言われたりしているので、頸部カテは二度とやりたくないというのが、頸部カテをしている今の本音なのだが(笑)
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一年で3回目の入院となり、学びが多かった。特に、今回の入院では、2回の入院経験を活かせたこと、そして、「患者サイドとしてできること」を学んでいる。
例えば、痛みについて。「痛い」と言っても、色々あるだろう。どんな痛みなのか、いつ痛いのか、どうされると痛くないのか、どこが痛いのか、曖昧さがある痛みなのか。「痛い」と言っても、医療者側には伝わらない。「痛い」という事実は伝わるが、それに対して、どうするのがベストなのか、それでは情報が少ないという意味で【まったく伝わらない】。
まずもって、私は苦痛を伝えるということが苦手で、怠ってしまうので、それはよくないということを今回の入院で学んだ。「少し気持ち悪い」「少し違和感がある」「少し目が回る」「少し気分がいい」「少し光が目に刺さる感じがする」、そんな、ほんの少しの苦痛や違和感、変化が医療者サイドには、大切な情報源となり、判断材料となる。医療者側だったはずなのに、私は、それを怠った。
どんな風に、違和感を感じているのか、入院生活に慣れてくると、何が違和感なのか分からなくなってくるものなのだが、それでも、患者サイドからできることは、状態を伝え続ける、自覚症状を伝え続けるということだ。医療者側も暇じゃない。
目が見にくい、かすむなどという違和感は、見た目からは分からないし、もちろん痛みについても、どのくらいどう訴えるかは、人によって異なるので、主観となるのだが、その人が普段、どうやって伝えているのかも判断材料となるので、的確に伝える、正確に理解してもらえるように努力をするということが大切になると感じた。
兎にも角にも、伝えなければ始まらない。
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CVカテーテルのテープについて、リハ目線から考えると、どう考えても、テープの貼り方は、首の角度を制限し、右下に首を傾げた状態で固定されてしまうことが多い。看護師さんとしては、感染がないように、はがれないように、ということを重要視しているのかもしれない。感染したら、はがれたら…そのリスクを考えての処置…なのかもしれない。
リハを仕事にしていた私としては、感染も大切だが、その辺りの知識には、疎い。それよりも、首の制限をされていることによる、動作の制限、座位姿勢のゆがみ、筋肉の緊張による身体の負担、テープが張ることによる皮膚のこすれ、そういったところへ意識が向く。
命を守る場では、看護の方が優先される。QOLよりも、命。
私も、感染したりしたら嫌だし、疲れやすいなら寝ていればいいと思うので、一生続くわけではないテープの角度は、ほどほどに気にする程度にすることにした。だが、食事動作や、日中起きて過ごすのが困難なほどの、テープの角度にどうしてもなってしまう時は、「食事動作がやりにくくて…」「首が痛くなってしまうので…」と困っていることを伝える。
ある看護師さんは「つっぱっちゃうと不快だよね」と話していたが、いやいや、そういう問題ではないのだ。つっぱっちゃうからではなく、首を伸ばすために、背中・首の後ろ・肩の筋肉を使うので、疲労しやすく、痛みも出やすく、精神的にも負担がかかり、姿勢が崩れていると代償した部分が痛くなってきたりするのだ。
これは、職業の違いという所だと思う。だが、看護師さんたちの強みもあるので、私ができることは、伝え続ける、困っていることに協力してもらえるところは協力してもらうということを諦めないことだ。
一度伝えても伝わらなくても、言葉を変え、何度か伝え、具体的に話し、人を替え、そんなことを繰り返し、普段の他の会話でも打ち解けていく中で、何か「解」が出てくるかもしれない。そんなことを思いながら、「患者サイド」として、私の治療に私は協力をするのだ。
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透析室の看護師さんに、昨日は丁寧に伝えてみた。
処置前に伝えてみた。LDL-アフェレーシスを行っている間、どうやって、伝えるのがベストなのかずっと考えていた。
刺入部に痛みがあること、痛み止めを飲んでいること、優しくやってもらえると有難いこと、テープの角度によって首が傾いちゃってご飯を食べる時に困ること、を伝えた。
すると、どんな痛みなのかを尋ねられ、痛み止めを飲んでいたことを知らなかったこと、痛みがあるとも思わなかったこと、を話してくれた。テープの角度についても、どうやったらいいかと考えて行ってくれた。
伝え、対話をしたことで、処置の時に、痛いかどうかを尋ねられながら処置が施され、私の表情や、手すりをにぎる様子にも目を向けてくれたのだと感じた。伝えなければ、見えないのだ。
ゆっくりと洗浄・処置を行ってくれたおかげで、痛みは前回よりも少なく済み、起き上がる時にも「起き上がれますか?」と声をかけてもらえ、一呼吸置くこともできた。テープの角度も、はがれてきてしまうことも、伝えると、追加で、補強テープを貼ってもらうことができた。
補強テープを貼る程度で大丈夫なのかどうか、貼りなおした方がよさそうかということについても、考慮し、尋ねてくれた。どうするかは、私が決めることではないのだが、一緒に考えることができるというのは、処置する側にとっても心強いものだと、医療従事者をしていた私としては、個人的にはそう感じる。対話が大切であり、患者も受け身ではいけないのだと、強く感じた。
患者も、患者を治療する治療者であることを忘れてはならない。そして、情報を発信し続け、私しか持っていない情報を考え続けることが大切なのだと。
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だからこそ、不安なことも、些細なことも伝え、小さなコミュニケーションを入院中には大切にできるとよりよい。もちろん、そんな余裕がないこともある。というか、余裕なんてなかった。少しずつ、その時にできることを積み重ね、それを拾ってもらえた結果、今があるので、感謝している。本当に。
自分で伝えられない場合には、家族に代弁してもらったり、メモを活用するのもよいだろう。「痛い」と思った時に伝えなくてもいいのだ。過去、こういう時に、こうだった、という情報も、その後に役に立つものだ。
本日、あと3回の採血に、私も私のために忘れないように頑張ろうと思う。そして、あと、痛い洗浄・消毒時にも、伝える努力を続けようと、思った。
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ぁぁ、お風呂に入りたいし、頭も洗いたいし、家に帰りたいし、病棟から出たいし、カテーテルを今すぐ抜いてほしい気持ちだ(笑)