微小変化型ネフローゼ症候群、3回目の再発の入院記録

微小変化型ネフローゼ症候群の3回目の再発時の備忘録

【入院六日目】部屋移動をした日

入院6日目。

プレドニンを40mgまで増やして、5日目。いよいよ、副作用がぽろぽろと出てきた。私の場合、自覚する副作用は、主に精神症状だ。「頭がいかれるー」っていう感じ。

 

とにかく、刺激に対して、よわよわになる。
ずっと伝え続けてきてはいたが、本当に限界が来ていた。昨日担当だった、主任さんが動いてくれていたようで、朝に担当医が声をかけてくれた。細かく説明をし、これから起こるであろう自分の変化と、現状を話した。

 

主治医変更してから、初の入院なので、私の方が私の状態の変化には詳しい。とにかく、説明しなければ、私が持っている情報は全部出さなければ、と思っていた。そうすれば、出来ることは、出来る範囲で、考え助けてくれるはず。と信じていたから。

 

朝早くから、血糖測定のために叩き起こされる(5時台)のは、寝つきが悪くなり、再入眠も困難になっている私にとっては、負担も負担。昼間も再入眠できなければ、光・音・声などの刺激で撃沈して、布団にこもって過ごしていた。

6日目の寝不足となると、体力も落ちてくる、ふらついてもくる。そろそろ限界が近かった。血糖は、安定していたため、夕方のみの測定に変更になった。主治医としては、「血糖が上がるのが心配だからね」とのこと。朝は、下回ることがあったくらいだった。

 

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昼前に、「主任」Nsが来て、「昼から移動になりそうですが、昼からでもいいですか?」と声をかけてくれた。死ぬほど感謝した。

 

そのあと、一人になって、泣き崩れたように、部屋で泣いた。でも、涙はほとんど出なかった。もう、泣くこともできないくらい、精神状態は鈍麻してきていたのだ。自分でも、「(ここまで悪化していたのか)」と驚いた。

 

昼食を食べ、食器を返すことを考えたが、前回の入院で、お膳を持ったままふらついたのを思い出し、やめておいた。うつ症状と寝不足で、食器を割るような気がしたから。食器なんて割ってしまって、倒れたら、今の私は、自分を責めて、こころが死ぬだろうと思った。だから、やめておいた。

「(まだ正常な判断は多少できるんだな)」なんて思った。

 

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静かに荷物をまとめ、同室だったおばーさんたちとは、さようならをした。今日は、猫や犬、山の中で遭う動物のこと、ペットの火葬のことについて話をしていた。私が移動した理由を、「私たちのせいだったのか…」なんて思わせてしまったらどうしよう、なんて思ったけれども、案外、おばーさんたちは強いものなので、考えないことに決めた。

声もかけずに、静かに、「主任」Nsと共に、部屋移動をした。

移動した先の部屋は、端っこの1泊8000円と言われていた、個室だった。トイレとお風呂がついていた。ソファーもあり、椅子もあり、なんなら、ロッカーまであった。

 

私は気付かなかったが、面会に来た夫が、「ここって、テレビも冷蔵庫もタダなんだね。書いてある。」と。私は、同じ札を見たはずなのだが、「テレビ・冷蔵庫はテレビカードを購入して使用してください。」と書かれているように見えていた。

「(あぁ、正常な判断は難しいようだ)」と思い直した。

 

(「面会制限」のシートを敢え無く貼られることになった。)

 

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ここまでの設備はいらない。こんな設備はいらないけれども、13時ごろに部屋移動をして、16時ごろには、少し落ち着いてきた。緊張状態にあった、身体がの力が、少し抜けたのを感じ、夫に「つらいー」「家に帰りたいよー」「しんどいよー」「もういやだよー」と弱音を吐いて、少し泣くことができた。

弱音を吐けて良かったと夫と共有した。

環境だけで、ここまで精神状態とは左右されるものなのだ。入院初日に、何かしてほしいことはありますか?と尋ねられて、「環境調整」と言い続けていた。それがよかったのかは、分からないが、精神状態に対しては、環境調整がまず一番。次に、薬。

 

夕方に来た看護師さんは、「入院していると、過敏になりますからね」と言っていて、知識がない人には分からないよね。と思った。まぁ、『多訴』と思っているスタッフもいるのであろう。

 

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『多訴』にはなりたくなかったが、とりあえず、今できることはやってもらえたので、少し落ち着いた。明日は、採血・検尿があるため、血糖測定はないものの、やはり早朝に叩き起こされるようだ。

 

今日は、中途覚醒もなく、しっかりと眠れるといいなと思っている。

部屋移動をして、まずやったのは、刺激のシャットダウン。カーテンを閉め、電気を消し、換気扇を全部消した。そして、廊下側のカーテンも引いておいた。できるものは、すべて音・光すべて、排除した。

そうして、3時間過ぎたら、少し楽になっていた。

 

入院中に精神症状が出やすい人には、こういう対策が効果的なのだ。冷静に伝えられるうちに、伝えることができたのは、入院が3回目だったからということと、プレドニンを40まで増やすことが3回目だったからだ。二度と、体験したくないと思っていたが、自分の中に、経験としては積み重なっている。

今は、薬物調整をしているところだが、きっと、この先、「再発」をした時にもまた、自分の中に経験として積み重なるものがあるのだろうと、Twitterでほかの方を見ていて思う。

自分の経験が、自分の中に積み重なっていく。きっと、それが大切。ネフローゼプレドニン治療は、自分も治療者であることが大切なのであろう。

 

「記録をし続けろ」
「病院スタッフを仲間にしろ」

 

そう思った、1日だった。

 

責めず、当たらず、できることを出来る範囲で、助けてもらいながら、治療を一緒に進めていく仲間をかき集めるのだ。(よく夫は、腹は立てずに横に寝かせると楽だと言う)

その時、その時を、歩んでいく仲間をかき集めて、伴走者を集めるのだ。だが、忘れてはならない、私の伴走者は、間違いなく私なのだ。最後まで私自身であるべき。私が、一番の理解者でいる努力は怠ってはならない。