微小変化型ネフローゼ症候群、3回目の再発の入院記録

微小変化型ネフローゼ症候群の3回目の再発時の備忘録

【入院九日目】巣状分節性糸球体硬化症の疑いとして治療を進めていくと言われた日

入院九日目。

朝から、先生が病室へ訪ねてきた。よく来て下さる先生なので、特に疑問に思うことはなかった。

 

今後の治療についての話。

「巣状分節性糸球体硬化症」

である可能性が強いということを話された。

 

「巣状分節性糸球体硬化症」からネフローゼ症候群になる人もいる。簡単に言えば、腎臓の「糸球体」という部分が、徐々に固くなっていって、腎臓自体が使い物にならなくなって、透析が必要な状態になるという病気である。

その病気の症状として、ネフローゼ症候群という状態になる。

 

去年の10月に、腎臓の組織をとる腎生検という検査をした。とった腎臓の組織は、もちろん部分的。その部分を検査して、「微小変化型ネフローゼ症候群」という病名の元治療をしていた。だが、治療の経過がよくない。

もう一度、検査をしたとしても、硬化している糸球体の部分を採らなければ、「巣状分節性糸球体硬化症」とは言い切れないという結果が出るだけ。そのため、腎生検はもうしないで次の治療へ進むことになった。

 

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さらっと、調べた感じでは、早めにLDL-Aという手法によって、体内のコレステロールを綺麗にし(血液から除去する)、ネフローゼ症候群の状態(Albが低い状態)から回復させ、早期に、巣状分節性糸球体硬化症の治療へと移ることが今のベターな選択となる。

LDL-Aは、鼠径部もしくは、頸部に一時的にカテーテルを入れて、治療を進める。透析室で行うものと説明があった。血管内に管を入れて、外に血液を流して、綺麗にして戻すということを、2週間で2回行うよう(話が半分くらいしか頭に入ってこなかった)。

終わったら、カテーテルは抜去するということ。とにかく、首から入れるらしい。とにかく怖い。

 

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ネフローゼ症候群よりも巣状分節性糸球体硬化症は予後が悪い。

 

www.msdmanuals.com

 

ネフローゼ症候群も、予後がいいものではないのに、さらに悪い。

 

予後は不良である。自然寛解が起こるのは患者の10%未満である。10年以内に半数を超える患者が腎不全となり,20%では治療にもかかわらず2年以内に末期腎臓病を呈するが,有意な尿細管間質線維化がある場合には,その可能性がより高くなる。本疾患は成人の方が小児よりも進行が急速である。

  

分節性硬化が尿細管の起点である糸球体の尿細管極に一貫して存在する場合は(尖端病変[tip lesion]),コルチコステロイド療法に対する反応がより良好であることを予測できる。もう1つの亜型では,毛細管壁に皺または虚脱が認められ(虚脱性FSGS,典型的には静脈内投与の薬物乱用またはHIV感染と関連),疾患がより重症で腎不全への急速な進行が示唆される。妊娠によりFSGSが増悪することがある。

  

FSGSは腎移植後に再発する場合があり,タンパク尿はときには腎移植の数時間以内に再発する。FSGSに起因する末期腎臓病に対して移植術を施行された患者のうち,約8~30%はFSGSの再発のため移植腎を喪失し,そのリスクが最も高い患者は,幼児,黒人以外の患者,疾患発生から3年未満で腎不全を発症した患者,メサンギウム増殖を有する患者,初回の移植術前の診断が原発性FSGSで移植術が繰り返された患者である。家族性FSGSでは,移植後の再発はまれである。

  

FSGSに起因するネフローゼ症候群を有するヘロイン常用者は,本疾患の早期にヘロイン使用を中止した場合,完全寛解が得られる可能性がある。

 

 

「10年以内に半数を超える患者が腎不全となり,20%では治療にもかかわらず2年以内に末期腎臓病を呈する」という部分に、面食らってしまった。

 

以下のような論文も出ていたため、医中誌に登録していないと読めないが、新しい治療が出てきていると期待したいところだ。

 

ci.nii.ac.jp

 

とにかく、今の私にできるのは、Albを安定させるために安静を保つこと。LDL-Aを行い、受け入れ、治療に耐えること。その後、シクロスポリンカプセルを減らし、その後、「リツキサン」治療を受けること。そして、ショック症状が出ないように祈ることだ。

 

私は、透析患者になるのか、障害年金はもらえない、働かないといけない、あと半年で傷病手当金は切れる、仕事をしないといけない、生きていけなくなる。

 

そんなことばかりが、頭をよぎる。

命が大切だろう。そりゃ大切だろう。今の医学がなければ、1年前に、失っていた命だ。あっという間に、死んでいたのであろう。今だってそうだ。いっそ死んでいた方が、なんて、「今」は思う。

夫の足かせになっている、そんな風に思う。

住宅ローンまで組んで、ギリギリの生活を夫に強いることになる。私の、この病気を、一緒に背負わせることになる。大切な人に、そんなことをさせるなんて、、私は、いったい、なにをしているのか。夫は、「私は悪くない」と言ってくれる。守ってくれる。

だが、どう、この気持ちを、もっていけようか。どこにもっていけようか。

 

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朝、説明を受けた時には、頭が真っ白になり、昨日の「リツキサン」の話だけでもいっぱいいっぱいであったのに、涙さえ出なかった。昼ご飯を食べながら、声をださずに、わんわん泣いた。

でも、涙は、それほど、思っていたほど、出なかった。

ショック期、否認期のためか、受け入れ切れていない、のが、よくわかる。私の頭は、私を「いち患者」として、観察している。この1年でやっと、「微小変化型ネフローゼ症候群」と共に、生きていく、どうやったら幸せに生きていけるか、を考えてきた。

 

どうしたら、「わたしらしく、わたしらしい人生を生きられるか」を考えてきた。

 

そこへ、舞い込んだ、新しい病名。
あまりにも、むごいではないか!

そんな、否認、怒り、そんな気持ちと、ショックが一緒になって私の心に舞い込んでくる。

 

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人と、苦労を比べるものではないが、自分の今の状況、今までの成育環境が、苦しかった、苦しい状況にもかかわらず、何故、まだ困難を私に、差し出すのか、とそんな気持ちになっている。

 

周りの人が、甘ったれているのを見ていると、腹が立ってしまう、小さな小さな器があふれている。仕方がない、そんな気持ちになれるはずもなかろう。悲しくて、やりきれなくて、くやしくて、そんな気持ちに、押しつぶされて、誰かを攻撃してしまいそうだ。そんなことしても、何にもならないのに。

 

そんなことを思いながら、Twitterでは、平静を必死に装う。闘病アカウントでは、荒れ狂っている。もう、どうにもならない、この気持ち。

 

しばらく、前を向くとは、難しい。

悲しい、苦しい、悔しい、そんな気持ちに蓋をせずに、きちんと自分の今の気持ちを受け止めて、ちゃんと泣けるときが来るまで、受け入れようと思う。だが、それでも、人らしく、わたしらしく毎日を過ごすために、笑える時には笑い、感謝できる時には感謝の言葉を伝えられる人間でありたいし、そう過ごしたいと願う。

 

いつでも、わたしらしくいたいものだ。