【入院17日目】よく眠れた朝
入院17日目。
昨夜は、初めて痛み止めを飲まずに寝れた。寝る時も、家に帰りたいと泣けた。
iPhoneのミュージックをかけっぱなしで、気づいたら寝ていて、0時過ぎに1度起きて、音楽をとめた。
そして、また、眠りについた。
今、朝の6時。ぽつぽつと、窓にあたる雨音に気づいて、ウトウトと目が覚め、お布団があたたかい。
なんか、やっと、心が休めた 感じがする。まだ眠たい。うとうととしている、顔がポカポカする。
もう少し、呼ばれるまで、ウトウトを味わっておこう。おはよう。
【入院16日目】頸部カテーテルの刺入部の処置は死ぬほど痛い
入院16日目。
いよいよ、半月経ってしまった。
頸部カテーテル刺入部の処置を毎日行っているのだが、これが非常に痛い。刺さっているからなのか、こすれているのか、なにがどう痛いのか分からないが、洗い流され、ゲルを塗られ、テープを貼られる過程が非常に耐えがたい。
痛みで顔がゆがみ、朝から、この処置が終わるまで気が気ではない。このテープの貼り方ひとつで、首の可動域が決まったり、痛みが変わる。得意不得意があるようで、上手い看護師さんに当たると、痛みなく過ごせるのだが、今日はその「上手い看護師さん」がいなくて、一日試行錯誤するも、一日中痛みが続いた。
じんわりと、ずーーーっと、消毒液を塗られ続け、傷口をこすられているような痛みだ。あまり痛いと伝えても、どうしようもない部分もあるので、我慢していたが、昼過ぎにテープがはがれてきたため、補強テープを貼ってもらった。
夕方に我慢しきれず、痛くてテープ自体を貼り変えてもらった。
だが、痛い…寝る前に、痛み止めをもう一度飲む予定なので、それで、眠れると良いのだが。
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尿タンパクは、寛解に持っていけたようだった。まぶたの重みもなくなった。だが、今朝は、入院初の、血糖60台をたたき出した。
昨日の、夜から、なんだか気持ち悪いというのはあったのだが、朝方の3時ごろにいよいよ気持ち悪くて目が覚め、回転性のめまいがして、「ぁぁ、気持ち悪い」と、そこから眠れなかった。
少し気持ち悪い、少し目が回るくらいで、ナースコールを押せず、朝を迎えたのだが、さっさと伝えればよかったと思った。伝えなければ、異常にも気付いてもらえないし、気付くこともできないからだ。我慢しすぎも、ほんどうにいい加減にしなければと思った。
まぁ、朝から、そんなことがあったので、頸部カテーテルのテープについて2回ナースステーションに行って伝えることができたのだが。そのくらい、私にとって、「苦痛を伝える」ということはハードルが高い。
「自分の苦痛くらい」と軽視してしまいがちだが、私が医療従事者側だった時を考えると、伝えられないことほど困ることはない。些細なことでも、知りたい。そんなことを思った1日だった。
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入院してから、数日で個室に移してもらえ、精神的に落ち着いてきた。外の光や、部屋の電気をつけていられたり、カーテンを開けていられることも増えた。相変わらず、換気扇の音は苦手なのだが、元々絶対音感で、継続的になる音が苦手なので、それは薬の問題ではないだろうと思う。
よほど、私の顔色が普段悪いのか、ナースステーションで「清掃の方が入っても大丈夫よね?」と声をかけられた。清掃してくださる方には、「ありがとうございます」と声をかけていたつもりだったのだが、入っても大丈夫なのかどうか、心配されていたようだった。
そんなに、顔色が悪かっただろうか。よくわからない。
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こうやって、夕方になり、テープを変えてもらい、文章を打てるまでになったが、やっぱり、頸部が痛い。夕方に、「テープを貼るのが得意な看護師さん」が担当らしいので、少し伝えてみようと思う。
貼り変えるのも痛いのだが、私も、どうしていいのか分からない。困ったものだ。
明日は、3回目のLDL-A。
明後日はあさイチから午前中を使って、薬剤師さんのタイムキーパーの元、シクロスポリンカプセルの血中濃度を測る検査。(一時間ごとにCVカテから採血らしい)
体力は温存しておきたい。
(追記)
あれ…急に痛くなくなった。ちょっとした角度なのかもしれない。これでよく眠れそうで安心。
【入院15日目】「病気の子ども」アイデンティティーについて考えた時間
入院15日目。
今日は、LDL-Aの2回目。
昨夜は、21時半ごろに、看護師さんが忘れていた処置をしに来て、その後、3時間ごとに、目が覚めた。20時に就寝したので、トータルの睡眠時間は確保できた。細切れではあるも、よく休めた。
夫には、午前中のうちに、「余裕がない状態で来られても困ること」「私に余裕がないため、余計に気疲れしてしまうこと」「疲れているのであれば無理に面会に来ないで欲しいこと」を伝えた。お昼過ぎには、今日の面会はやめて、帰る旨の返事が来ていた。
それがいい。それでいい。
無理して来てもらっても、私は嬉しくない。誰かに、無理をさせるのは、私にとって全く嬉しくないことだ。ただでさえ、病気をして、入院をして、しかも長らく働けておらず、先の見通しも立っていない。そんな私にとって、誰かに【迷惑】をかけるのは、ごめんだ。
【迷惑】をかけるのは、私の心とって、とても負担になる。
だから、来ない選択をしてくれた夫に感謝した。ゆっくり休んで、仕事をして、来れる時に来てくれれば嬉しい。顔を見たいと思ったら、来てくれたら嬉しい。
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肝心の治療のLDL-Aは14時から行われた。2時間ほどで、3リットルの血液からLDLを吸着し、終了。
前回の、機械の設定では、戻す血液の設定温度が35度だったとのことを、技師さんから聞いた。「寒く無かったですか?」ときかれ、寒くなかったと答えたが、「35度だったから、少し上げておきますね。」と声をかけられ、私は思わず「戻す血液の温度も決められるんですね。私の気のせいとか、血の気が引いているとか、室温かと思いました。」と話した。
戻す血液の温度は、もろに体温に関係する。36度に上げてもらい、その後、少しだけぶるっとすることもあったため、「寒いかと聞かれると、少し寒いような気がします」と伝えると、少しだけ設定を上げてくれた。
その後、ぽかぽかとして、お風呂に入った後のような、心地いい感じで、ぼんやりとウトウトできた。
もちろん、LDL-Aの間、テレビカードとイヤホンを持って行けば、テレビを見ることもできるのだが、技師さんや看護師さん、そのほかの患者さん、機械の動く様子を見ている方が私には、興味深く、面白く、お金を出してまでテレビを見る気にはなれない。
ぼんやりとした中で、うっすら目をあけながら、起きていると気づかれないようにしながら、会話を盗み聞きしながら、2時間を過ごした。たまに、目を開けていると、大体話しかけられた。
あんまり、爆笑するような会話をしてもカテーテルの刺入部が痛いし、ぼんやりとしているくらいが私には心地よかった。
LDL-Aが終わると、カテーテルの刺入部の洗浄と消毒ゲルの塗布、テープの貼り替えが行われた。LDL-A自体は、1年に数例あるか、ないくらいだそうで、ほかの患者さんは、皆透析で来ている。だから、首にカテーテルがある人はいない。
消毒をしている人もいない。
そのためか、消毒は、痛みがあるという認識なしに、今日の看護師さんは施行した。勢いよくテープをはがし、勢いよく水で洗い流していく。あまりの苦痛に、顔をゆがめたが「痛いですか?ごめんなさいね~」「あれ、ここも痛い?」「あー、ごめん、さわっちゃったねー」といった具合に、パシッと最後のテープまで勢いよく行った。
死ぬかと思った。
ベッド柵に必死にしがみつき、マスクを外して、痛い表情を見せておくくらいの抵抗くらいしかできず、涙がこぼれるかと思うほど痛かった。次回は、痛みがあることを先に伝えておこうと思った。
消毒は滲みるから13:30に痛み止めを飲んできたはずだったのに、全く効いていないんじゃないかと思うほどに、処置が痛くて、最後に放心状態になった。
最後の処置1つで、ふらっふらになりながら、病棟の看護師さんに付き添われ、歩いて病室まで帰った。ぴしっと貼られたテープで、首をほとんど動かせない状態だったので、病棟の看護師さんに、もう一度はがしてもらい、新しいテープを付け替えてもらった。
はがすのも、貼りなおすのも痛かったが、ピシッと不自然な状態の首の角度になってしまうテープの貼り方で夜を過ごすよりは、貼り替えてもらった方がよかった。そして、「貼り変えましょうか?」と、声をかけてくれ、私の弱音(めっちゃ勢いのある看護師さんに当たって、ピシッとやられ、めっちゃ痛かった気持ち)も、聞いてもらえ少し落ち着いた。
しばらく、病室でも、痛みで動けなかった。
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痛みはあるし、刺さっていることへの違和感、処置には全然慣れない。だが、痛みが出てくる時間や、雰囲気は分かってきた。また、右に刺さっているため、右の首の筋肉を使わない動作をした方が痛くないということが分かった。
そのため、右に刺さっているが、右を下にしてベッドへ横になる動作を行い、あおむけに寝る。そして、起き上がる時もその逆。右の柵につかまり、右側を下にして起き上がる。
そうすることで、右の首周りの筋肉を出来るだけ使わないで済む。
その方が、断然痛くない。歩く時もゆっくり、すり足。なるべく、右側の首周りを緩めておく。あんまり変な格好をしているとヘルニアになるので気を付けたいところだが、右に刺さっていても、右を下にして動作をすることで、少しは楽なのだ。
もし、困っている人がいたら、今すぐ教えてあげたいくらい、違うので、やってみて欲しい。
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タイトルから、随分と遠ざかった話をたくさんした。
ツイッターで、ネフローゼ症候群の子どもさんを持つお母さんたちや、小児ネフローゼだった方たち、成人でネフローゼ症候群になった方たち、ネフローゼではないがプレドニン治療をしている人たちと話をする。
たくさん励ましてもらっている。
私も、励ます側に、まわりたいものだと思う。入院中は、もらってばかりだ。
そんななか、ある子が、自分を家族の中で「病気の子ども」とアイデンティティーを認識していたというツイートが目に飛び込み、心に残った。
【人間は、社会的生き物だ】
これは、私が常々、思っていることだ。とても大切にしていること。
家族というコミュニティーの中で、その子は自分を「病気の子ども」と話したという。
どんな気持ちで、どんな状況で話したかは分からないが、「病気の子ども」と思っていることに、そのお母さんはショックを受けたようだった。私も、「ネフローゼの妻」「働けない妻」と、自分のことを思っているから、なんとなく、分かるような気がした。(もちろん子どもの、アイデンティティー形成と、成人してからのアイデンティティーに関しては違うので、その辺りはご容赦願いたい。そこまで話し出すとキリがない。)
人は、人と比べて、自分を認識できる。私が「ネフローゼの妻」と自分の事を思っているのも、その一つにすぎない。世の中には、「ネフローゼの妻」はたくさんいる。きっと。
そして、私を構成するもの、「女」「30代」「めがねをかけている」「ボブ」「作業療法士だった」そんなものをかき集めても、私は完成しない。
完成しているようで、完成していないのだ。
私は、私であり、それ以外のなにものでもない。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
人と比べて落ち込んだり、人と比べて焦ったり、生きていればそういうことも、多くの人は経験するだろう。だが、世界を見れば、世界は広い。日本というコミュニティーに広げても、さらに、世界というコミュニティーに広げても、どんどんと自分は、希薄になっていくだけなのだが、そうすることで、「わたし」を自由にはばたかせることができるのではなかろうかと思う。
狭いコミュニティーの中で比較しながら生きるのか、「わたし」の中の「わたし」を感じながら、人の中で生きるのか。
わたしは「わたし」でありたいがために、ふと、立ち止まり、世界を見る。できるだけ広い世界を、見つめるようにしている。家族にとらわれなくてもいい、会社にとらわれなくてもいい、日本にとらわれなくてもいい、世界にとらわれなくてもいい。
難病にとらわれなくてもいい。
社会の中で、生きていくには、ある程度、とらわれる必要がある時も必要であろう。だが、それは、じぶんらしく、「わたしらしく生きる」ということとは、切り離しておくことが大切なんだと思っている。
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(余談)
私は、長らく、精神的虐待を受けて成長してきた。両親が離婚し、「あいつの血が流れているから、死ねばいいと思っているんだ」と母親から言われ続け、長女であること・母親を支える存在であること・家事労働力を担う小学生であることを求められ続けた。親戚からも、理想的な子どもであることを求め続けられ、「わたしらしさ」を見失って成長してきた。
高校生の頃には、生きていること自体が迷惑だと本気で思い、性的DVを受けている方が安心感を覚えた時期もあった。そうでなければ、生きている価値がなく、生きていることを自分で許すことが出来なかった。
必死で勉強をし、身体を壊しながら大学へ入った。それでも、自信がなく、鬱になった。それでも、母親のために、お金を稼ぐ・家事をする・家を建てるんだと思っていた。私の存在価値は、そこにあるんだと、本気で信じ込んでいた。そして、どこかしらで、性的に消費される商売に身を売り、そのお金は母親に持って行くことが善だと信じていた。本気で、30代直前まで、心の底から思っていた。
だから、「わたしらしく」生きられている今が、とてもしあわせなのだ。「わたしらしく生きてもいい」と気付けた今が、幸せであり、そして、新たな人生となっている。私は、今からアイデンティティーを、自分の好きなものを見つけていく人生を歩んでいる。いまはじめたばかりなのだ。
だから、夫と喧嘩ができ、意見を言うことができ、思いを伝えられる、素直に感情表現ができる「家族」が出来たのは、私にとっては、とてもしあわせで、幸運だった。
わたしが、わたしの気持ちを安心して伝え、ぶつけられる相手ができたというのはとても大きいことなのだ。
nephrotic-2019-10.hatenadiary.com
こんな歪んだ認知を持っている私が思うのは、子どもにとって一番必要なのは、失敗しても安心して帰ることができる場所なのだと思う。失敗しても、なにもできなくても、それでも安心して自分を受け入れてくれる場所、それこそが、自分を肯定し、そこに存在してもよいと「漠然と」思わせてくれ、そこにいることができる。
「病気の子ども」でも、外に出たら、「病気じゃない子ども」でいることもできる。どんな風にふるまうのか、どんな風に生きていくのかは、環境が同じでも、人によって違う。
だからこそ、自分で決めていく、自分で調べていく、自分で生きていく、その覚悟ができるホームが小さいころにあった。という事実が大切なのだと思う。自己決定をさせてもらえる環境が一番大切だと思う。そして、もし、私が、今後子どもを授かることができるのであれば、小さくても・幼くても・心配でも・失敗するであろうことが分かっていても、「自分で決めていく力」「自分で決めていきたいと思える力」を持てる子育てをしたいと思うものである。
とにもかくにも、自分の健康と、自分がしあわせでいる姿を見せることが一番だと思っているので、まずは、治療。そして、私がしあわせになることが、未来に可能になるかもしれない、「自分の子ども」を支えてくれると信じている。
ネフローゼでそれが叶わなかったとしても、「わたしが私の人生・時間を大切にすること」が、私の大切な人を大切にすることと同義だと信じている。
【入院14日目】いつもは許せる夫の失敗を許せなかった日
入院14日目。
旅行出発だと思っていた日から、もう2週間も経った。
必死に、毎日を生きていたら、半月も経っていたなんて、本当に驚いた。
昨晩は、20時に、電気を消して、寝始めたのだが、1時間ごとに、21時、22時、23時、24時と目が覚めた。朝かと思ったら、「まだ一時間しかたっていない…」という夜だった。痛み止めは、18時ごろに飲んだ。3時に痛みで目が覚めた。
だが、1日3回までの痛み止めだと思うと、今飲んでも、また、昼間に痛みに襲われると思ったら、ナースコールを押せなかった。朝まで耐えた。結局、3時からは、朝まで眠れなかった。とにかく、痛かった。
死ぬほど、痛いかと言われると、そういうわけでないが、耐えれなくもない、だが、耐えれないと言われたら耐えれない痛みだった。
朝の7時頃の血糖測定で、相変わらず70台をたたき出し、ひっかかった。その時に、痛み止めを飲んだ。1時間もすれば効いてくるだろう、と思った。私の読み通りに、8時、9時には楽になった。そして、お昼過ぎ頃から痛みが強くなり、15時には耐えれず、痛み止めを飲んだ。
15時に飲んだら、21時ごろに切れてくるはず。そうすれば、寝る前にもう一度飲んで、眠りにつくことができる。そういう算段だ。21時に飲めば、22時には効いてくる、そうすれば、朝まで眠ることができるはず。
「そんなに我慢をしなくても、ほかの手立てを考えてもらえばいいのに。私はバカなのか。我慢大会をしているのか。何をしているんだ。」という気持ちになった。明日、主治医の回診があったら、伝えてみようと思う。
まぁ、私は、そんな性格なのだ。ギリギリまで、我慢をして、限界を超えたところで、やっと声を出す。そんな生き方をしてきて30歳を超えた。
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昨日、夫が面会に来た時、「FPさんとの打ち合わせに明日行ってくる」と話していた。場所については、「FPさんからのメールで『〇〇の分譲地』って書いてあるけど、〇〇の分譲地はもうないはずだから、××の分譲地だよね」と話していた。私は、それに対して、「そうだね。」とだけ話していた。
注文住宅や、大切なやり取りは、私がやり取りすることが多い私たち夫婦。今回は、夫のみでFPさんとの最終打ち合わせに向かう。早めにやっておきたいという夫の意向だ。
今日の14時ごろ、私の携帯に何度も着信があった。FPさんとの打ち合わせの時間を20分過ぎたくらいの頃だった。私は、着信に気付いたが、丁度痛みが出てきたころで、余裕もなく、『着信』の表示を見つめて、切れるのを待った。「何か、やらかしたんだろうな」と思った。余裕がなさ過ぎて、無意味にイライラとした。
夫からは、FPさんとの打ち合わせが終わったであろう頃に、連絡が入った。打ち合わせが終わったと連絡が入った。私は、私の携帯に着信があったことを伝えた。「何かあったの?」と、メールで尋ねたも、「なにかあった」という返事のみだった。
そして、またイライラした。
結局、「〇〇の分譲地での打ち合わせ」で正しく、夫はFPさんからのメールに対して『FPさんの打ち間違い・勘違い』と思い、確認を怠った。その結果、夫が、「××の分譲地」に向かい、おそらく、FPさんたちに迷惑をかけたのだろうと思う。まぁ、それだけのことなのだが。
割と、この手のミスを夫はよくする。「まぁ、なんとかなるだろう」「大丈夫だろう」「たぶん~だろう」こんな感じで、生きることができる人なのだ。私には出来ない。確認をし、再度確認をし、石橋を壊れるまで叩くような私とは、違う。
そんな夫に救われることも多い。学ぶことも多い。だが、そのフォローを普段しているのも私であり、先読みして声をかけていたりする。私は、それを昨日怠った。
そんな、夫を見て、今日は「もう、いい加減にしてくれ。いい大人だろう。確認くらいしっかりしてくれ。きちんとやってくれ。」そんな風に、猛烈にイライラ感が増した。
結婚当時から、「私は、あなたのお母さんじゃない」と何度伝えたか分からないくらい、夫は、のんびりやさんで、のんきで、しあわせそうなのんびりした世界に生きている。羨ましいと心底思う。
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そんなことがあった後、私は、気持ちを切り替えられずに、夕方を迎えた。15時に痛み止めを飲んだが、夜寝れなくなるのが怖くて、体力を使うために、ずっとソファーやベッドに座って過ごした。横になることもできたが、体力を使うために座って過ごしていた。痛みもあった。
余裕もなかった。
午前中の、頸部カテーテル部分の消毒は、痛みがあった。
3本の管を洗う処置、そして、刺入部を洗浄し、ゲルを塗る処置。すべてが痛く、顔をしかめ、ベッド柵をぎゅっと握るほど、痛かった。
冷や汗をかき、痛みに耐え、一人我慢大会をして、夜寝るために起きて過ごしていた私は、消耗しきっていた。そして、夫に八つ当たりをした。
入院生活を支えてくれ、毎日面会に来てくれ、慣れないFPさんとの打ち合わせに一人で行った夫に八つ当たりをした。面会に来てくれた夫に、「イライラした」と伝えた。「ちゃんと確認しなかったの?」「不安になる」と伝えた。
私は、これからも、一生夫のフォローをし続けるのかと、こういう時に余裕がなくなる。入院したり、病気をした時に、夫にすべてを任せるには不安がありすぎて、そして、今日みたいにそれが現実になると、未来の失敗に思いをはせて、さらに不安に襲われる。
石橋を叩きすぎである。
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それでも、夫のスローペースは変わらないのはわかっていた。
私の八つ当たりに、黙り込む夫。
「余裕がない」「イライラする」「不安になる」と伝えた。それでも、黙り込む。
気持ちを伝えても、黙り込み、私が譲歩してくれるのを待っているかのように、黙り込んで私の出方を待っているかのような態度をとることも多い。何故、余裕がないしんどい私に、次の出方を任せるのかと、いつも、こういう時にもイライラが増す。
それを、夫も知っているはずなのに。
余裕がない時には、距離を置く・離れる・帰る、そんな選択をして欲しい、こちらにも気を使ってほしい、そんな風に私も思うのだ。新婚当初は、私から話を再び切り出して、夫の話を引き出すことをしていたが、それをしていたら私が疲れ切ってしまったので、ある時から辞めた。
だって、私は夫のお母さんじゃないから。
スローペースでも、余裕がない人に気を遣わせて、結果として相手に許してもらう態度をとる夫を、私は許容しないことにしている。それを許容することは、私がいつかつぶれることを意味し、私たち二人の関係が破綻する未来にしかならないことを知っているから。
だから、私は、黙り込んだ。自分の気持ちを伝えて、私も黙り込んだ。
夕飯が配られても、黙り込んだまま、動かなかった。
そして、相変わらず黙り込んでいる夫は、20分くらいして、やっと「今日は帰るわ」と帰っていった。この沈黙に耐えるのにも、疲れた。
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いつもであれば、私が先読みをし、夫に声かけをし、もしくは、「いつものことか」と許せることを、まったく許せなかった。不安に襲われ、悲しくなり、疲れた。そして、許せない自分にも凹み、改めて体調に余裕がないということを思い知った。
毎日続く入院生活、痛み、処置、すべてに疲れ切っているのを自覚した日だった。
明日は、14時からLDL-Aの2回目が透析室にて行われる。明日の処置は、透析室で行われる。今日は、21時に痛み止めを飲み、そして、翌朝に、痛み止めを飲み、そして、LDL-Aの前に痛み止めを飲んでいこうと思う。
そうすれば、また明日の21時ごろに、痛み止めを飲めるはずだから。
余裕がなさ過ぎて、八つ当たりしてしまった自分に凹んだ。
だが、私みたいに石橋を叩きまくって壊すような夫になったら困るので、夫には、そのままののんきさを持っていて欲しいと思う私なのであった。夫婦は、違うからいいものなのだと思うのだ。
【入院12日目】内頚静脈のカテーテルが明日でめっちゃびびっている今日
入院12日目。
点滴も、一時的に抜け、晴れて自由に過ごしている。微熱は続いていて、37度台になったり、ちょっとだけ下がったり。いずれにせよ、体温が高めで、慣れない環境にいるので、ほぼ、寝て過ごしている。
明日は、ついに頸部カテーテルを入れる日。
来週は、3回LDL-Aというものをやり、再来週には2回実施する。1回あたり、だいたい3リットルの血液を入れ替え、LDLを身体から少なくして、腎臓の働きをよくするということをしていく。
それをすることで、寛解状態へも早く持って行くことができる。
LDL-Aをするためには、血液を身体から出して、再度戻すための管が、身体に必要となるので、そのためのカテーテルを明日、「首」から入れるのだ。これが、めちゃくちゃ怖い。局部麻酔で、2針縫う程度。
たったそれだけなのだが、「首」というのと、私は極度の先端恐怖症であり、グロテスクなものが苦手であり、ホラーもめちゃくちゃ苦手。首から管が出ているとか、考えただけで目が点になる。
恐ろしい。非常に恐ろしい。
今日は、思う存分、シャワーを浴び、頭からしっかり洗い、気持ちよかった。だがしかし、この緊張状態のため、すぐに頭から湯気が出るほどに、ぷしゅーっと音でもするかのような、状態になっている。
頭だけでなく、手からも、足からも、なんなら背中からも、湯気が出て、煙が出ていそうな状態だ。
私の顔を見て、夫からは、
「マジでビビってる顔してる」
「そりゃ怖いよ。当たり前だよ。怖いに決まってるじゃん」
なんて、言われて、私も、さらに目が点になる。
怖いっていう感情を、代弁して、肯定してくれるだけでも、今の私にはありがたく、ベッド上で、思わず土下座をしてしまったら、笑われ、頭をなでられた。
夫は、明日、早番の仕事なのだが、仕事から上がった後の私の精神状態が心配だと言っていた。早番なので、私の夕飯が終わると、帰るねと言ったところに、「忘れ物していっていいよ。」「このお盆返してきてほしいし」「ほら、そのかばん、携帯、置いていっていいよ」と引き留めた。
そんな私を見て、「あぁ、ちょっと帰るわ。」「また明日」と言い残して、携帯を置いていって、「携帯とかばん忘れたわ」と戻ってきてくれた。私の必死の引き留めにまた、応じてくれる優しい夫なのである。甘やかしてもらいまくっている。
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そんな、どうしようもない、煙と湯気が立ち上っている妻を見ている夫に対して、「明日、間違えて寝坊したらダメだよ?」「たくさん食べて、良く寝てね」と声をかける。「美味しいもの食べてね。このケーキ美味しそうだから、アイスのっけて食べたらいいよ。」と見つけた簡単レシピを、送りつけておく。
そんな、やりとりをしながら、今日が過ぎ去っていった。
夫は、私の「じぶんまくら」のメンテナンスに行ってくれ、ふかっふかのまくらを持ち帰ってきてくれた。まくらカバーも洗ってくれ、甘やかしてくれ、新しいおうちのお風呂の床を一緒に選んだ。
甘ったれもいいところなのだが、怖いものは怖く、これからが大変なのも目に見えているので、たくさん甘えて、甘えて甘えまくっている。基本的には、私が甘やかしてもらうことが多いのだが、弱った時は、甘やかしあいっこをする夫婦なのだ。
こうやって文章にしてみると面白いものだと思う。
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初発、再発の時の、2回の入院の時も、十分にパニックだったのだが、さすがに1年で、初発・再発3回目、入院も3回目となると、お互い慣れてくるもので、前回と比べてみたり、コツがわかってきたりする。
入院した時の、お互いの良い距離感、言葉かけ、気づかいが、良くも悪くも安定してきたように思う。入院には、もうこれ以上慣れたくないものだが、私たち夫婦の経験値も、また、一つ積み重なったように思う。
逆の立場になった時に、私は何ができるのかと考えると、まったくもって自信がないのだが、夫が元気でいてくれたらいいなと思うのである。無駄な苦しみや入院はしてほしくないものだ。
こんな、甘ったれで、甘ったれも甘ったれまくりの妻を、にこにこと励まして、一緒にいる未来を描いていてくれる夫に今日も感謝した。
【入院11日目】LDL-Aの準備と、留置点滴が一時的に抜けたこととか
入院11日目。
LDL-A(LDLアフェレーシス)の日程が決まった。月曜日の10:30から。内頚静脈からカテーテルを入れて、第一回をそのまま透析室で行う予定。その後、何回行うのかは未定。経過を見ながら、決めていくのかと。
2日ほど前に、微小変化型ネフローゼ症候群(MCNS)から巣状分節性糸球体硬化症(FSGS)へと、病名が変わったと、非常に落ち込んでいたが、まだ確定というわけではないということが分かった。
落ち込んでいたのは、MCNSより、FSGSの方が、より予後が悪いため。
Dr.からの話を聞いた瞬間に、落ち込んでしまい、何も頭に入っていなかったようだ。何故、私の中で、勘違いが起こったのかというと、LDL-Aという治療法は、FSGSにのみ適応であるため、Dr.が一筆書けば、「LDL-A」という治療法を行えるという説明を、「私の病名は、実はFSGSだったんだ」というように捉えてしまったため。
FSGSではない、という確証はないが、確定でもないということ。
今のところは、
MCNSの「ステロイド依存性」または、「頻回再発型」。または、FSGSの中のどれかであろうということ。どれにしても、よいことはないのだが。
LDL-Aという治療法については、
「エビデンスに基づくネフローゼ症候群診療ガイドライン 2017」
を読めば、FSGSに適応であることが、容易に理解することができる。
FSGSの治療については、p39辺りから、参照していくと詳細な記載にたどり着くことができる。
ステロイド抵抗性の FSGS では低用量ステロイドとシクロスポリンの併用療法が,プラセボもしくはステロイド単独療法と比べて寛解導入において優れ,また,腎機能保持について
も現時点で期待できる最善の治療法として推奨される.ただし,長期投与による腎毒性の問題や,シクロスポリン投与中止後の高頻度の再発7),さらにはほかの免疫抑制薬に対する優位性,有害事象の検証,適切な投与期間,用量,投与法などさまざまな課題を解決する治療プロトコールについては,依然として検討の余地があり,今後のエビデンス集積が期待される.
(p41より引用)
FSGSについては、シクロスポリンの併用を私自身も行っているが、ステロイド10mg、シクロスポリン110mg以下にすると再発することが分かった。(2019.10現在)
また、シクロスポリンの腎毒性、ステロイドの蓄積による身体への負荷についてもDr.らは懸念しているということであった。私も、1年間ステロイドを飲み続けてきたことでの、副作用の出やすさや、蓄積を身体で感じているところがあり、是非とも他の治療法は試していきたいと感じている。
私の場合には、精神症状が出やすいベースがあるため、ステロイドを飲んでいることで日常生活や仕事に支障が出るため、ほかの方法を探ることが生きていく上では必要となってくる。
同時に、入院時に、検討されていたミゾリビンについては、Dr.からは何度も、「なるい薬」ということで説明を受けていた。そのため、今回は、ミゾリビンの試用をすることなく、LDL-Aへと踏み切るということになったのだと考える。成人へのミゾリビンへの効果は、報告が少なく、どちらかというと、小児のネフローゼへの効果が報告されている。
小児の FRNS を対象とした RCT ではプレドニゾロン(1.0~2.0 mg/kg,28 日間)にミゾリビン(4 mg/kgBW/日)あるいはプラセボをそれぞれ 48 週間併用追加投与した場合,ミゾリビン併用群の10歳以下の群で再発率がより低下したと報告されている4).また小児の頻回再発型 SDNS では,プレドニゾロンと高用量ミゾリビン(10~15 mg/kgBW/日分 2,週2 回投与)併用療法も試みられており,再発回数の減少,副腎皮質ステロイド薬投与量の減少効果が報告されている5).しかし,成人例でのミゾリビンに関するエビデンスは高用量投与を含めほとんどなく,その有効性は明らかではない.しかし,成人ステロイド依存例において尿蛋白減少を認めたとする症例報告がある6)
(p43より引用)
また、やはりシクロスポリンはFSGSにおいては有効であるという記載もある。
ステロイド抵抗性の成人巣状分節性糸球体硬化症に対して,シクロスポリンの追加には尿蛋白減少効果がある.寛解例では腎機能低下抑制効果もみられる.しかし,クロラムブシル,ミコフェノール酸モフェチルの追加にはシクロスポリン以上の尿蛋白減少効果はなく,これらの免疫抑制薬の直接的な腎機能保護に関するエビデンスもない
(p44より引用)
だが、腎毒性については、注意が必要と再三記載があり、妊娠を希望している、かつ、若年である私においては、ほかの治療法を試すのがよいと考えているのだと感じる。
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予後不良、ということは、死亡例や寛解に至らない、至りにくいということを指すわけだが、少しでも10%でも、良い方向に振れてもらえるように祈る。
LDL-Aは、月曜の午前中にカテーテルを内経静脈から入れるわけだが、今回は3本管が出た状態となる(病院による、また、出来ない病院もある)。最低、血液を抜く・戻す2本が必要となるが、私の入院している病院では、3本のみ使用しているとのこと。
LDL-Aを入れると、首から上を洗うことができない。濡らすことができない、清潔を保つ必要がるため、今日・明日で、入りたいだけシャワー浴をしておこうと思う。その後は、洗髪介助となることが考えられる。
身体のみであれば、自身で行っても問題がない。そのため、夫に、シャンプーの追加を頼み、着替えも頼んでおいたため、日曜日に持ってきてもらえる算段となっている。
来週は、LDL-Aを3回、再来週は2回で、結果を見つつ行っていく。追加で、シクロスポリンカプセルの増量をして、副作用を見ていく。首から管が出た状態で過ごすので、ここからが、私の中での正念場となるのかもしれないと、覚悟をしておく。
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LDL-Aについては、ここまでとする。
留置点滴を、土曜日の14時をもって、一時的に抜いてもらうことができた。大暴れするわけではないのだが、身体に何かが刺さっている状態というのは、緊張をしたり、多少なりとも違和感や痛みを感じるものだ。入浴時にも、濡れないようにラップをしたり、気にする必要がある。
土曜日の午後から、月曜の午前まで、留置点滴がない状態で過ごせるのは、気持ちがいい。こうやって、パソコンやスマホから、ブログを書くことも、違和感なく行えるのが、いかに気持ちがいいものかと感じながら過ごしている。夜眠る時にも、鈍い痛みを感じずに、眠ることができる。
こころが安らぐ時間を持てている。
もちろん、月曜から2週間、カテーテルを入れた状態で過ごすので、気になる所ではある。Dr.からも、それまでは、自由に過ごしてくださいねと声をかけられているので、覚悟してく。
ここまでの、約2週間、Twitterで話をしてくださる方にずいぶん支えられた。弱音を吐き、嫌なことを嫌と感じられているのは、それを分かってくれる、経験してきた人たちが、側にいてくれるからだと、本当に感謝の気持ちでいっぱいなのだ。
やってみないと、経験してみないとわからないこと、やっていてもわからないこと、なんて世の中にはたくさんある。
同じ病気でも、同じ経験でも、違うように感じるものはたくさんある。ただ、そこに、一人じゃない誰かが存在していてくれること、そして、そういう人たちと、交わす、病気でない会話も、私には支えになっている。
トータルで1か月くらいの入院と言われているので、あと、半分ほど、ゆるりと過ごしていきたい。(そんな現在は、タンパクは4で、下げ止まっている状態である。パルスをして下げることもできるが、それよりも、ほかの手をやっていきたいという方針だと、説明を受けた。ステロイドパルスは一時的なものに過ぎない。)