微小変化型ネフローゼ症候群、3回目の再発の入院記録

微小変化型ネフローゼ症候群の3回目の再発時の備忘録

【入院14日目】いつもは許せる夫の失敗を許せなかった日

入院14日目。

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旅行出発だと思っていた日から、もう2週間も経った。

必死に、毎日を生きていたら、半月も経っていたなんて、本当に驚いた。

 

昨晩は、20時に、電気を消して、寝始めたのだが、1時間ごとに、21時、22時、23時、24時と目が覚めた。朝かと思ったら、「まだ一時間しかたっていない…」という夜だった。痛み止めは、18時ごろに飲んだ。3時に痛みで目が覚めた。

 

だが、1日3回までの痛み止めだと思うと、今飲んでも、また、昼間に痛みに襲われると思ったら、ナースコールを押せなかった。朝まで耐えた。結局、3時からは、朝まで眠れなかった。とにかく、痛かった。

死ぬほど、痛いかと言われると、そういうわけでないが、耐えれなくもない、だが、耐えれないと言われたら耐えれない痛みだった。

 

朝の7時頃の血糖測定で、相変わらず70台をたたき出し、ひっかかった。その時に、痛み止めを飲んだ。1時間もすれば効いてくるだろう、と思った。私の読み通りに、8時、9時には楽になった。そして、お昼過ぎ頃から痛みが強くなり、15時には耐えれず、痛み止めを飲んだ。

15時に飲んだら、21時ごろに切れてくるはず。そうすれば、寝る前にもう一度飲んで、眠りにつくことができる。そういう算段だ。21時に飲めば、22時には効いてくる、そうすれば、朝まで眠ることができるはず。

 

「そんなに我慢をしなくても、ほかの手立てを考えてもらえばいいのに。私はバカなのか。我慢大会をしているのか。何をしているんだ。」という気持ちになった。明日、主治医の回診があったら、伝えてみようと思う。

 

まぁ、私は、そんな性格なのだ。ギリギリまで、我慢をして、限界を超えたところで、やっと声を出す。そんな生き方をしてきて30歳を超えた。

 

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昨日、夫が面会に来た時、「FPさんとの打ち合わせに明日行ってくる」と話していた。場所については、「FPさんからのメールで『〇〇の分譲地』って書いてあるけど、〇〇の分譲地はもうないはずだから、××の分譲地だよね」と話していた。私は、それに対して、「そうだね。」とだけ話していた。

 

注文住宅や、大切なやり取りは、私がやり取りすることが多い私たち夫婦。今回は、夫のみでFPさんとの最終打ち合わせに向かう。早めにやっておきたいという夫の意向だ。

 

今日の14時ごろ、私の携帯に何度も着信があった。FPさんとの打ち合わせの時間を20分過ぎたくらいの頃だった。私は、着信に気付いたが、丁度痛みが出てきたころで、余裕もなく、『着信』の表示を見つめて、切れるのを待った。「何か、やらかしたんだろうな」と思った。余裕がなさ過ぎて、無意味にイライラとした。

 

夫からは、FPさんとの打ち合わせが終わったであろう頃に、連絡が入った。打ち合わせが終わったと連絡が入った。私は、私の携帯に着信があったことを伝えた。「何かあったの?」と、メールで尋ねたも、「なにかあった」という返事のみだった。

 

そして、またイライラした。

 

結局、「〇〇の分譲地での打ち合わせ」で正しく、夫はFPさんからのメールに対して『FPさんの打ち間違い・勘違い』と思い、確認を怠った。その結果、夫が、「××の分譲地」に向かい、おそらく、FPさんたちに迷惑をかけたのだろうと思う。まぁ、それだけのことなのだが。

割と、この手のミスを夫はよくする。「まぁ、なんとかなるだろう」「大丈夫だろう」「たぶん~だろう」こんな感じで、生きることができる人なのだ。私には出来ない。確認をし、再度確認をし、石橋を壊れるまで叩くような私とは、違う。

 

そんな夫に救われることも多い。学ぶことも多い。だが、そのフォローを普段しているのも私であり、先読みして声をかけていたりする。私は、それを昨日怠った。
そんな、夫を見て、今日は「もう、いい加減にしてくれ。いい大人だろう。確認くらいしっかりしてくれ。きちんとやってくれ。」そんな風に、猛烈にイライラ感が増した。

 

結婚当時から、「私は、あなたのお母さんじゃない」と何度伝えたか分からないくらい、夫は、のんびりやさんで、のんきで、しあわせそうなのんびりした世界に生きている。羨ましいと心底思う。

 

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そんなことがあった後、私は、気持ちを切り替えられずに、夕方を迎えた。15時に痛み止めを飲んだが、夜寝れなくなるのが怖くて、体力を使うために、ずっとソファーやベッドに座って過ごした。横になることもできたが、体力を使うために座って過ごしていた。痛みもあった。

余裕もなかった。

午前中の、頸部カテーテル部分の消毒は、痛みがあった。

3本の管を洗う処置、そして、刺入部を洗浄し、ゲルを塗る処置。すべてが痛く、顔をしかめ、ベッド柵をぎゅっと握るほど、痛かった。

 

冷や汗をかき、痛みに耐え、一人我慢大会をして、夜寝るために起きて過ごしていた私は、消耗しきっていた。そして、夫に八つ当たりをした。

 

入院生活を支えてくれ、毎日面会に来てくれ、慣れないFPさんとの打ち合わせに一人で行った夫に八つ当たりをした。面会に来てくれた夫に、「イライラした」と伝えた。「ちゃんと確認しなかったの?」「不安になる」と伝えた。

私は、これからも、一生夫のフォローをし続けるのかと、こういう時に余裕がなくなる。入院したり、病気をした時に、夫にすべてを任せるには不安がありすぎて、そして、今日みたいにそれが現実になると、未来の失敗に思いをはせて、さらに不安に襲われる。

石橋を叩きすぎである。

 

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それでも、夫のスローペースは変わらないのはわかっていた。

私の八つ当たりに、黙り込む夫。

「余裕がない」「イライラする」「不安になる」と伝えた。それでも、黙り込む。

 

気持ちを伝えても、黙り込み、私が譲歩してくれるのを待っているかのように、黙り込んで私の出方を待っているかのような態度をとることも多い。何故、余裕がないしんどい私に、次の出方を任せるのかと、いつも、こういう時にもイライラが増す。

 

それを、夫も知っているはずなのに。

 

余裕がない時には、距離を置く・離れる・帰る、そんな選択をして欲しい、こちらにも気を使ってほしい、そんな風に私も思うのだ。新婚当初は、私から話を再び切り出して、夫の話を引き出すことをしていたが、それをしていたら私が疲れ切ってしまったので、ある時から辞めた。

 

だって、私は夫のお母さんじゃないから。

 

スローペースでも、余裕がない人に気を遣わせて、結果として相手に許してもらう態度をとる夫を、私は許容しないことにしている。それを許容することは、私がいつかつぶれることを意味し、私たち二人の関係が破綻する未来にしかならないことを知っているから。

だから、私は、黙り込んだ。自分の気持ちを伝えて、私も黙り込んだ。

 

夕飯が配られても、黙り込んだまま、動かなかった。

そして、相変わらず黙り込んでいる夫は、20分くらいして、やっと「今日は帰るわ」と帰っていった。この沈黙に耐えるのにも、疲れた。

 

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いつもであれば、私が先読みをし、夫に声かけをし、もしくは、「いつものことか」と許せることを、まったく許せなかった。不安に襲われ、悲しくなり、疲れた。そして、許せない自分にも凹み、改めて体調に余裕がないということを思い知った。

 

毎日続く入院生活、痛み、処置、すべてに疲れ切っているのを自覚した日だった。

 

明日は、14時からLDL-Aの2回目が透析室にて行われる。明日の処置は、透析室で行われる。今日は、21時に痛み止めを飲み、そして、翌朝に、痛み止めを飲み、そして、LDL-Aの前に痛み止めを飲んでいこうと思う。

 

そうすれば、また明日の21時ごろに、痛み止めを飲めるはずだから。

 

余裕がなさ過ぎて、八つ当たりしてしまった自分に凹んだ。

だが、私みたいに石橋を叩きまくって壊すような夫になったら困るので、夫には、そのままののんきさを持っていて欲しいと思う私なのであった。夫婦は、違うからいいものなのだと思うのだ。

 

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