微小変化型ネフローゼ症候群、3回目の再発の入院記録

微小変化型ネフローゼ症候群の3回目の再発時の備忘録

【入院10日目】夫との話。「家族になったんだよ。」

入院10日目。

そろそろ、疲れました。本格的に。

微熱がある日もあり、今日の午後はぐったり、ウトウトしていました。気分もふわふわして、テレビもつけっぱなしで、ぼんやり。夢と現の間を、ずっとウロウロしているような午後を過ごしました。

 

LDL-Aをすると、首から上を洗うことが出来なくなるので、今日は午前中はシャワー浴。久々に頭を洗い、身体を洗い、すこしすっきり。体力を使い切ったのか、午後からは、微熱が続いています。

 

手と頭、足がとってもあっつい。でも、ほかの部分は冷える、寒い。そんな感じ。

 

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夫が、今日も面会に来てくれた。

私は、いわゆる機能不全家族という形の「集団」の中で、精神的虐待を受けながら成長してきた。それに気づいたのは、夫と結婚してから。大学時代に鬱にもなった、母親が勝手に買った車の借金も背負わされた。そんな状態で働き出した。必死で働いて、借金を返し、家を出た。

結婚するまで、それが異常だということには、気付けなかった。結婚して、ネフローゼ症候群になって、初発のベッドで「ぁぁ。死ぬときに知られたくない」と思って、縁を切る決断を出来たくらい、私は、「異常さ」に鈍感になっていた。

だから、私は、夫がいなかったら、天涯孤独。そう思ってる。たった、一人の私のはじめての家族になってくれたのが、夫だった。

はじめて、家族の温かさを教えてくれたのが、夫だった。そして、夫の家族だった。祖父母も、義理の父母も、弟夫婦も、姪っ子ちゃんも、みんな、私に家族というものを教えてくれた。

 

こんなにも、心地いいものなのか。落ち着く場所があるのかと驚いた。こんなにも、大切にしてもらえるのか。私は、何もしていなくても生きていていいんだと、はじめて思える瞬間を、少しずつ得られていった時間だった。今でも、少しずつ、「何もしていなくても生きていていい」を教えてもらっている。

何もできなくても、お金を稼いでなくても、役に立たたなくても、生きていていいんだと教えてくれる。大切にしてくれる。

愛してくれる。

 

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それでも、やはり、長年培った考え方は根深いもので、私の中には、役に立たない私や、お金を稼げない私は、生きている価値がないと思うものなのだ。だから、どこかで、それを探してしまう。ついつい、生きていなくてもいい理由を探してしまう。

今だってそうだ。

「また、フィンランドへ、オーロラを見に行きたい(でもそんなお金ない)」

「また、ディズニーランドに行きたい(そんな体力ない)」

「また、夫と一緒に、家でご飯を食べて過ごしたい(でも、治らない)」

他の人には、そんなこと思わないのに、自分に対しては、そんなことばかり与えてしまう。

 

でも、夫は、そんな私を、死なせてはくれない。

今日も、面会で、頭をなでてくれ、膝枕を頼んだらしてくれ、涙を出させてくれた。「おーいおいおいおいおいー涙が出るねー。びえーーーん、鼻炎ーーー、びえーんだねぇ。」そんなことを言って、頭をなでてくれる。

そんな、ふざけた夫婦なのだ。

 

そして、叶えられそうなことをふと口にするのだ。

「新しいおうちが建ったら、紫陽花植えたいねぇ。何色になるかなぁ。」なんて言うのだ。そんなこと言われたら死ねないじゃないか。私は、諦められないじゃないか。

 

そんなこと言うものだから、

「おうちを建てるから、私死ねないじゃん。一人で暮らしたら寂しいだろうし。」

「そんな叶えられそうなことを言うから、死ねないじゃん、諦められないじゃん。」

「薬飲まずに過ごしたら、死ねるのに。野垂れ死ねるのに。」

「私が好きな、欲しい窓枠を、注文しちゃったから死ねないじゃん。(楽しまなきゃねぇと言われた。)」

「ピアノ買っちゃったから、死ねないじゃん。諦めれないじゃん。」

「〇〇くんが、私が諦めるのを、やめさせてくれないーー(泣)。そんな、少ししたら叶えられそうなことを言うから、諦めさせてくれないーーー(泣)。」

といった具合だ。

 

そして、また「びえーーーん」とか言って、泣くのだ。そして、泣かされるのだ。

 

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「なんで、元々は赤の他人だったのに、こんなに優しくしてくれるの」と泣きながら、話した。甘えったれだと思いながらも、甘ったれた。そしたら、「家族だからだよ。家族になったからだよ」と言ってくれた。

私にも、家族がいた。

 

フォロワーさんに教えてもらって、毎日色を変えながら、心の支えにしているピンクのピッタマスクは、びっしょびしょだ。夫に頼んで、マスクとマスク越しに、キスをした。

 

私は、「はずれー」という。そうすると、夫は、そのあと、2回トライして、「ピンポーン」という。そして、私は、また泣く。(´;ω;`)

19時に今日は帰るといった、夫を結局19時40分まで引き留めてしまった。

 

最後に、夫の頭も撫でて、ぎゅっとハグをして、泣きながら、バイバイをした。それでも、笑顔で、「また明日も来るからね。」と言ってくれる。泣かせてくれてありがとう。「今日、たくさん、涙をため込んでた分だね。」と話してくれた。夫の元でなら、泣けるのだ。

 

今日のお昼ご飯なんだった?

夜ご飯、何作るの?

最近、買い物行った?

仕事忙しい?

髪の毛伸びたね。

ふるさと納税、今年はどうしよっか。

 

そんな、日常の、なんでもない会話が、私を日常に戻してくれる。病院の生活から、日常に戻してくれる。

 

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看護師さんや、お医者さんたちから声かけられる。

「お変わりないですか?」

「体調はどうですか?」

 

それに対して、私は、「大丈夫です」「変わりないですよ」と答える。でも、変わりあるに決まってるじゃん。変わりまくりだよ。昨日とお変わりないということにして、「大丈夫」と答える。

 

でも、そんなこと言っていても仕方がない。だから、私は、私の出来ることを、周りの支えてくれるスタッフにするのだ。慣れない研修医の先生が、顔を出して、会話に困っていたら、「足は…浮腫んでいないので大丈夫ですよ」と足を見せる。

 

夫からは、そんなところに気を使ってるから疲れちゃうんだよ。なんて言われたけど、「優しすぎるんだよ」なんて言われたけど、でも、それが私らしさなんだよね。そうありたい。

 

きっと、それを手放したら、私は落ち込むから、どんな時も、できることなら「私らしくありたい」。それが、今の私のささやかな願い。

 

だから、私は、夫に甘え、甘ったれ、そして、また明日を過ごす。

家族になってくれた、生きることを諦めさえてくれない夢を、私と叶えたい小さな夢を、ぽつりぽつりと語ってくれる夫。夫がいたら、私は、きっと生きることを諦められないから。

 

私の優しさをうまく利用されて、私を生かしていてくれる。夢を見させてくれる。小さな、紫陽花を一緒に植えて、それが、何色になるのか見る時間を叶える夢を叶えようと、思わせてくれる。

 

きっと、明日も、夫がきたら泣くけど、たくさん甘えて、甘ったれて、夫の小さな夢を一緒に叶えるのが私の夢なのだ。

【入院九日目】巣状分節性糸球体硬化症の疑いとして治療を進めていくと言われた日

入院九日目。

朝から、先生が病室へ訪ねてきた。よく来て下さる先生なので、特に疑問に思うことはなかった。

 

今後の治療についての話。

「巣状分節性糸球体硬化症」

である可能性が強いということを話された。

 

「巣状分節性糸球体硬化症」からネフローゼ症候群になる人もいる。簡単に言えば、腎臓の「糸球体」という部分が、徐々に固くなっていって、腎臓自体が使い物にならなくなって、透析が必要な状態になるという病気である。

その病気の症状として、ネフローゼ症候群という状態になる。

 

去年の10月に、腎臓の組織をとる腎生検という検査をした。とった腎臓の組織は、もちろん部分的。その部分を検査して、「微小変化型ネフローゼ症候群」という病名の元治療をしていた。だが、治療の経過がよくない。

もう一度、検査をしたとしても、硬化している糸球体の部分を採らなければ、「巣状分節性糸球体硬化症」とは言い切れないという結果が出るだけ。そのため、腎生検はもうしないで次の治療へ進むことになった。

 

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さらっと、調べた感じでは、早めにLDL-Aという手法によって、体内のコレステロールを綺麗にし(血液から除去する)、ネフローゼ症候群の状態(Albが低い状態)から回復させ、早期に、巣状分節性糸球体硬化症の治療へと移ることが今のベターな選択となる。

LDL-Aは、鼠径部もしくは、頸部に一時的にカテーテルを入れて、治療を進める。透析室で行うものと説明があった。血管内に管を入れて、外に血液を流して、綺麗にして戻すということを、2週間で2回行うよう(話が半分くらいしか頭に入ってこなかった)。

終わったら、カテーテルは抜去するということ。とにかく、首から入れるらしい。とにかく怖い。

 

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ネフローゼ症候群よりも巣状分節性糸球体硬化症は予後が悪い。

 

www.msdmanuals.com

 

ネフローゼ症候群も、予後がいいものではないのに、さらに悪い。

 

予後は不良である。自然寛解が起こるのは患者の10%未満である。10年以内に半数を超える患者が腎不全となり,20%では治療にもかかわらず2年以内に末期腎臓病を呈するが,有意な尿細管間質線維化がある場合には,その可能性がより高くなる。本疾患は成人の方が小児よりも進行が急速である。

  

分節性硬化が尿細管の起点である糸球体の尿細管極に一貫して存在する場合は(尖端病変[tip lesion]),コルチコステロイド療法に対する反応がより良好であることを予測できる。もう1つの亜型では,毛細管壁に皺または虚脱が認められ(虚脱性FSGS,典型的には静脈内投与の薬物乱用またはHIV感染と関連),疾患がより重症で腎不全への急速な進行が示唆される。妊娠によりFSGSが増悪することがある。

  

FSGSは腎移植後に再発する場合があり,タンパク尿はときには腎移植の数時間以内に再発する。FSGSに起因する末期腎臓病に対して移植術を施行された患者のうち,約8~30%はFSGSの再発のため移植腎を喪失し,そのリスクが最も高い患者は,幼児,黒人以外の患者,疾患発生から3年未満で腎不全を発症した患者,メサンギウム増殖を有する患者,初回の移植術前の診断が原発性FSGSで移植術が繰り返された患者である。家族性FSGSでは,移植後の再発はまれである。

  

FSGSに起因するネフローゼ症候群を有するヘロイン常用者は,本疾患の早期にヘロイン使用を中止した場合,完全寛解が得られる可能性がある。

 

 

「10年以内に半数を超える患者が腎不全となり,20%では治療にもかかわらず2年以内に末期腎臓病を呈する」という部分に、面食らってしまった。

 

以下のような論文も出ていたため、医中誌に登録していないと読めないが、新しい治療が出てきていると期待したいところだ。

 

ci.nii.ac.jp

 

とにかく、今の私にできるのは、Albを安定させるために安静を保つこと。LDL-Aを行い、受け入れ、治療に耐えること。その後、シクロスポリンカプセルを減らし、その後、「リツキサン」治療を受けること。そして、ショック症状が出ないように祈ることだ。

 

私は、透析患者になるのか、障害年金はもらえない、働かないといけない、あと半年で傷病手当金は切れる、仕事をしないといけない、生きていけなくなる。

 

そんなことばかりが、頭をよぎる。

命が大切だろう。そりゃ大切だろう。今の医学がなければ、1年前に、失っていた命だ。あっという間に、死んでいたのであろう。今だってそうだ。いっそ死んでいた方が、なんて、「今」は思う。

夫の足かせになっている、そんな風に思う。

住宅ローンまで組んで、ギリギリの生活を夫に強いることになる。私の、この病気を、一緒に背負わせることになる。大切な人に、そんなことをさせるなんて、、私は、いったい、なにをしているのか。夫は、「私は悪くない」と言ってくれる。守ってくれる。

だが、どう、この気持ちを、もっていけようか。どこにもっていけようか。

 

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朝、説明を受けた時には、頭が真っ白になり、昨日の「リツキサン」の話だけでもいっぱいいっぱいであったのに、涙さえ出なかった。昼ご飯を食べながら、声をださずに、わんわん泣いた。

でも、涙は、それほど、思っていたほど、出なかった。

ショック期、否認期のためか、受け入れ切れていない、のが、よくわかる。私の頭は、私を「いち患者」として、観察している。この1年でやっと、「微小変化型ネフローゼ症候群」と共に、生きていく、どうやったら幸せに生きていけるか、を考えてきた。

 

どうしたら、「わたしらしく、わたしらしい人生を生きられるか」を考えてきた。

 

そこへ、舞い込んだ、新しい病名。
あまりにも、むごいではないか!

そんな、否認、怒り、そんな気持ちと、ショックが一緒になって私の心に舞い込んでくる。

 

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人と、苦労を比べるものではないが、自分の今の状況、今までの成育環境が、苦しかった、苦しい状況にもかかわらず、何故、まだ困難を私に、差し出すのか、とそんな気持ちになっている。

 

周りの人が、甘ったれているのを見ていると、腹が立ってしまう、小さな小さな器があふれている。仕方がない、そんな気持ちになれるはずもなかろう。悲しくて、やりきれなくて、くやしくて、そんな気持ちに、押しつぶされて、誰かを攻撃してしまいそうだ。そんなことしても、何にもならないのに。

 

そんなことを思いながら、Twitterでは、平静を必死に装う。闘病アカウントでは、荒れ狂っている。もう、どうにもならない、この気持ち。

 

しばらく、前を向くとは、難しい。

悲しい、苦しい、悔しい、そんな気持ちに蓋をせずに、きちんと自分の今の気持ちを受け止めて、ちゃんと泣けるときが来るまで、受け入れようと思う。だが、それでも、人らしく、わたしらしく毎日を過ごすために、笑える時には笑い、感謝できる時には感謝の言葉を伝えられる人間でありたいし、そう過ごしたいと願う。

 

いつでも、わたしらしくいたいものだ。

【入院八日目】リツキサン行きがほぼ決定した日

入院八日目。

 

今回の再発で、再燃は3回目。ミゾリビンという薬を増やす予定だった。

私が妊娠希望であること、ステロイドの副作用が出やすいこと、年齢が若いことを考慮すると、また再燃した場合に薬の漸減に要する時間を考えると、「リツキサン」という薬に頼ってもいいのではないかという主治医からの提案。

 

「リツキサン」は白血病に使われるような薬で、Bリンパ球を、殺す薬。インフュージョンリアクションという、いわゆる身体が薬に対して強い拒否反応を示さなければ、ある意味特効薬とも考えられる。

小児ネフローゼに対して、使われてきた薬だったが、大人に対しても徐々に使われることが増えている。ここ数年で保険適応にもなった薬だ。

 

やっぱり、治りにくいんだ…

 

という、絶望感や強い薬への恐怖感と共に、これで、良くなるのかもしれない、安定した生活が出来るのかもしれないという思いも湧いた。

それと同時に、私の「妊娠希望」「これからの人生」ということについても、主治医が考えてくれていることに、伴走者がいてくれるありがたみを感じた時間でもあった。

 

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ステロイドを点滴で、現在は1日80mg(経口60相当)を投与しているのだが、尿タンパク、Albともに、いまいち経過がよくない。効いていないことはないが、ストンと落ち着いていることもない。

今日の時点では、尿タンパクは、8.3であった。

 

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話は戻り、「リツキサン」について。

「リツキサン」は、一回目はインフュージョンリアクションが出ないかを見るために、入院して行う、そして、二週目にも、念のために入院して行う。
三週目、四週目、は通院にて日帰りで行う。これが、1セット目。

 

そして、それが終わったら、半年ごとに、ずっと行っていく治療となる。
ステロイドやシクロスポリンカプセルに比べれば、副作用はずっと少ない。ただ、免疫を落とす薬であり(というか、殺す薬)、ステロイド60相当と考えて、予防をしてほしいということを伝えられた。

人混みはなるべく避けてほしいということ。仕事についても、作業療法士として働くのは可能なのか尋ねたところ、感染病棟や感染源が多くある場所は避けてほしい、また、その旨は、診断書も書くということであった。

やはり、医療業界で働いていくことは、少し頭から一度、離しておいた方がいいのであろう。

 

また、運動量についても尋ねた。
腎臓のためには、運動負荷が少ない方が推奨されているが、「推奨されている」ということとの説明。禁忌というわけでも、必ず避けろというわけでもなさそうな雰囲気。ただ、その方がいい。

それよりも、感染を避けましょう。という方が、主治医のニュアンスとしては、大切にしているように感じる説明の時間であった。

 

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今日は、「リツキサン」行きが、ほぼ決定して、安堵したと同時に、インフュージョンリアクションが出た場合は、手詰まりとなることを考えて、どっと疲れた。入院の疲れもあるだろうし、ステロイドの高容量投与にも疲れてきているのであろうし、1年間続いてきた治療にも、難病を受け入れるこの時間にも、ほとほと疲れてきたようだ。

 

本当に、疲労困憊なのだ。

だけれども「生きること」を諦めていない、「私らしく生きること」を応援してくれるスタッフや夫がいるから、私も「私らしく生きること」を諦めることは出来ないし、諦めないで生きようと思い続けていたい。

私だけでは、もう、諦めていただろう。本当に、そう思う。

私とまた話したいと言ってくれる人、ツイッターで声をかけてくれる人、そんな些細な声が、私に力をくれる。

 

難病治療には、伴走者がいることが、どれだけ大きな力になっているのかを感じた1日だった。どっと疲れたため、この日は18時ごろからウトウトし出して、20時には就寝していた。

【入院七日目】Albが上がらない。渋々点滴を受け入れた日。

この一週間で、学んだこと。
難病治療者の場合は、受け身ではなく、治療される対象ではなく、治療者メンバーの一員であるという意識が大切であるということ。

何故かというと、難病の場合には、治療のセオリーはあっても、一人ひとり経過が異なる。また、しばしば、ステロイド薬が治療に使用されることが多いのだが、このステロイド薬、や、免疫抑制剤の副作用についても一人ひとり個人差が多い。

そのため、患者は、語り、伝え、要望・不安なことを治療者・医療従事者・支援者に伝え続ける必要がある。そのため、患者サイドとしても、治療者のメンバーの一員である意識が必要なのである。

 

私が、こうやって書き続け、考え続け、どう付き合っていくのかを考え続けていること、そして、論文を読んだりリサーチを続けていることも、治療者側でありたいと考えるからである。

 

難病治療は、パーソンセンターケアの、さらに先を行くものであると考える。

 

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一度、パーソンセンタードケアについては、もう少し考えをまとめたいものだが、今日はここまでにしておく。

 

治療の方だが、Albは下がってきている。本来であれば、私の通常の値は、基準値より少し低い3.9辺りをうろうろしている。

入院日は3.6、4日目には2.9、7日目には2.3であった。このAlbが下がってくると何がよくないかというと、血液中の水分量が減っていき、血栓ができやすくなるのだ。血栓ができやすくなる、血液がどろどろになっていく、ということは、つまるところ、血栓が飛んだら、脳梗塞心筋梗塞、など、血管が詰まり、腎臓とは関係ないところに障害が出るリスクが上がるということ。

 

前回の再発時(1月)には、この値が、入院時に既に悪い状態であったため、「血液サラサラ薬(ヘパリン)」を24時間、機械で同じ量入れ続けるという、苦行のような状態になった。それと同時に、ステロイドも経口摂取でなく点滴だったため、点滴用のルートを腕に2本とっておくという、地獄であった。点滴用のルートをとっておくと、処置は楽なのだが、手が浮腫んでくる。

ただ、毎日、点滴をしていると、血管が固くなったりするため、ルートをとっておくことが必要なのだ。(繰り返し怪我をすると皮膚が固くなるように、繰り返し注射を毎日し続けると、血管も固くなる)

 

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ステロイド薬を、さらに増量し、点滴で入れていく治療が始まるので、その前に綴れるところまで書いておこうと思って、今書いている。
Dr.には、「午前・午後」の指示だと、ステロイド点滴が遅くなるほど、食事前の血糖が上がり、インスリンを打たなければならなくなるので、それはやめてほしいと伝えていた。できれば経口摂取がよかったのだが、主治医が今週末に学会に行くということで、その前に、状態をよくしておきたいという希望もあり、点滴となった。

 

(点滴を嫌がっているのは、手が腫れると、食事・書字・ペットボトルをあける・入浴などのADL動作の困難さが出てくるからである。作業活動の困難さが上がるとQOLってさがりますからね。)

 

事前に、ステロイド点滴の時間の事、以前の入院時のことを、主治医に話しておいたため、時間を指定して指示を出してくれた。8:00、14:00となった。この時間であれば、よほど血糖が上がることはないであろう。
打たなくてもいい、インスリン注射はお断りしたい。そのための、私の作戦だった。丁寧に、私の気持ちや、要望をくみ取ってくれる主治医に感謝している。

 

また、個室の件に関しても、「感染症対策」ということで指示を出しておいたということで声をかけてくれた。「個室が空いているうちに対応した方がいいですからね。」と笑って、話してくれた様子には、土下座してお礼を言いたいくらいだった。(顔色よくなりましたね。とも話してくれ、マスクをしているのに、そんなに死んだ顔だったんだよねと思ったところ)

昨日は連続6時間睡眠がとれた。また、昼間も、ウトウトできる環境ができあがった。なにより、布団をかぶって、刺激の暴風雨に耐えるかのように過ごすこともなくなった。暑いのに、マスクをして布団をかぶっているのは、かなりきつかったのだ。

 

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このあと、14:00から、ルート確保が行われる。今回は、ヘパリン持続点滴はまだ免除してもらえたので、ステロイドがさっさと効いてくれるように祈って耐え忍ぶのみ。
しばらくは、針が刺さったままなので、シャワーに入るのも一苦労…というか、めんどくさいことになるので、午前中のうちにシャワーを浴び、ご飯を食べてすぐに歯磨きをして、荷物を整えておいた。

私のネフローゼは、私の性格と似て、のんびり屋さんで、反応がゆっくりで、そして、往生際が悪いようである。

【入院六日目】部屋移動をした日

入院6日目。

プレドニンを40mgまで増やして、5日目。いよいよ、副作用がぽろぽろと出てきた。私の場合、自覚する副作用は、主に精神症状だ。「頭がいかれるー」っていう感じ。

 

とにかく、刺激に対して、よわよわになる。
ずっと伝え続けてきてはいたが、本当に限界が来ていた。昨日担当だった、主任さんが動いてくれていたようで、朝に担当医が声をかけてくれた。細かく説明をし、これから起こるであろう自分の変化と、現状を話した。

 

主治医変更してから、初の入院なので、私の方が私の状態の変化には詳しい。とにかく、説明しなければ、私が持っている情報は全部出さなければ、と思っていた。そうすれば、出来ることは、出来る範囲で、考え助けてくれるはず。と信じていたから。

 

朝早くから、血糖測定のために叩き起こされる(5時台)のは、寝つきが悪くなり、再入眠も困難になっている私にとっては、負担も負担。昼間も再入眠できなければ、光・音・声などの刺激で撃沈して、布団にこもって過ごしていた。

6日目の寝不足となると、体力も落ちてくる、ふらついてもくる。そろそろ限界が近かった。血糖は、安定していたため、夕方のみの測定に変更になった。主治医としては、「血糖が上がるのが心配だからね」とのこと。朝は、下回ることがあったくらいだった。

 

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昼前に、「主任」Nsが来て、「昼から移動になりそうですが、昼からでもいいですか?」と声をかけてくれた。死ぬほど感謝した。

 

そのあと、一人になって、泣き崩れたように、部屋で泣いた。でも、涙はほとんど出なかった。もう、泣くこともできないくらい、精神状態は鈍麻してきていたのだ。自分でも、「(ここまで悪化していたのか)」と驚いた。

 

昼食を食べ、食器を返すことを考えたが、前回の入院で、お膳を持ったままふらついたのを思い出し、やめておいた。うつ症状と寝不足で、食器を割るような気がしたから。食器なんて割ってしまって、倒れたら、今の私は、自分を責めて、こころが死ぬだろうと思った。だから、やめておいた。

「(まだ正常な判断は多少できるんだな)」なんて思った。

 

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静かに荷物をまとめ、同室だったおばーさんたちとは、さようならをした。今日は、猫や犬、山の中で遭う動物のこと、ペットの火葬のことについて話をしていた。私が移動した理由を、「私たちのせいだったのか…」なんて思わせてしまったらどうしよう、なんて思ったけれども、案外、おばーさんたちは強いものなので、考えないことに決めた。

声もかけずに、静かに、「主任」Nsと共に、部屋移動をした。

移動した先の部屋は、端っこの1泊8000円と言われていた、個室だった。トイレとお風呂がついていた。ソファーもあり、椅子もあり、なんなら、ロッカーまであった。

 

私は気付かなかったが、面会に来た夫が、「ここって、テレビも冷蔵庫もタダなんだね。書いてある。」と。私は、同じ札を見たはずなのだが、「テレビ・冷蔵庫はテレビカードを購入して使用してください。」と書かれているように見えていた。

「(あぁ、正常な判断は難しいようだ)」と思い直した。

 

(「面会制限」のシートを敢え無く貼られることになった。)

 

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ここまでの設備はいらない。こんな設備はいらないけれども、13時ごろに部屋移動をして、16時ごろには、少し落ち着いてきた。緊張状態にあった、身体がの力が、少し抜けたのを感じ、夫に「つらいー」「家に帰りたいよー」「しんどいよー」「もういやだよー」と弱音を吐いて、少し泣くことができた。

弱音を吐けて良かったと夫と共有した。

環境だけで、ここまで精神状態とは左右されるものなのだ。入院初日に、何かしてほしいことはありますか?と尋ねられて、「環境調整」と言い続けていた。それがよかったのかは、分からないが、精神状態に対しては、環境調整がまず一番。次に、薬。

 

夕方に来た看護師さんは、「入院していると、過敏になりますからね」と言っていて、知識がない人には分からないよね。と思った。まぁ、『多訴』と思っているスタッフもいるのであろう。

 

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『多訴』にはなりたくなかったが、とりあえず、今できることはやってもらえたので、少し落ち着いた。明日は、採血・検尿があるため、血糖測定はないものの、やはり早朝に叩き起こされるようだ。

 

今日は、中途覚醒もなく、しっかりと眠れるといいなと思っている。

部屋移動をして、まずやったのは、刺激のシャットダウン。カーテンを閉め、電気を消し、換気扇を全部消した。そして、廊下側のカーテンも引いておいた。できるものは、すべて音・光すべて、排除した。

そうして、3時間過ぎたら、少し楽になっていた。

 

入院中に精神症状が出やすい人には、こういう対策が効果的なのだ。冷静に伝えられるうちに、伝えることができたのは、入院が3回目だったからということと、プレドニンを40まで増やすことが3回目だったからだ。二度と、体験したくないと思っていたが、自分の中に、経験としては積み重なっている。

今は、薬物調整をしているところだが、きっと、この先、「再発」をした時にもまた、自分の中に経験として積み重なるものがあるのだろうと、Twitterでほかの方を見ていて思う。

自分の経験が、自分の中に積み重なっていく。きっと、それが大切。ネフローゼプレドニン治療は、自分も治療者であることが大切なのであろう。

 

「記録をし続けろ」
「病院スタッフを仲間にしろ」

 

そう思った、1日だった。

 

責めず、当たらず、できることを出来る範囲で、助けてもらいながら、治療を一緒に進めていく仲間をかき集めるのだ。(よく夫は、腹は立てずに横に寝かせると楽だと言う)

その時、その時を、歩んでいく仲間をかき集めて、伴走者を集めるのだ。だが、忘れてはならない、私の伴走者は、間違いなく私なのだ。最後まで私自身であるべき。私が、一番の理解者でいる努力は怠ってはならない。

【入院5日目】「はじめてなので教えてくださいね」という声かけが最強だと感じた日

入院5日目。

昨日の、夜勤の看護師さんは、検温・血圧・SpO2のために、私を6時に叩き起こそうと声をかけてきた。あまりに、昨日から混乱して、感情がぐちゃぐちゃだったため、布団をかぶったまま、寝たふりをして、気付かないふりをして、過ごした。

 

7時半になり、血糖測定をどうしてもしなければならない時間のため、叩き起こされた。「体調どうですか?」と聞かれるものの、昨日のこともあり、「大丈夫です」と目も合わせることが出来ず、「(さっさと、夜勤上がってくれ)」と思っていた。「(この人に伝えても無駄)」と私は思っていた。そう、昨日の対応1つで、もう、私はこの人に語らないことを決めてしまった。

 

入院中に担当にならないことを祈る。

 

今日の、午前中は、あさイチは、同室のおばーさんたちは、最初は眠っていた。9時半ごろから、しゃべり出したので、ホールへ移動。パソコンに、カタカタと入力しながら、お昼前までホールで過ごしていた。

 

足が浮腫んだ。流石、Alb2.9まで下がっているだけある。
頭がぼーっとするのも、なんとなくだるかったり、眠かったりするのも、身体がしんどいのだろう。イライラしてるのか、不眠なのか、眠りが浅いからなのか、もう何が何だかわからない。目もかすむ。

 

お昼の担当の看護師さんは初めて見る人だった。

名札に「主任」と書いてあった。昨日のことがあったからか、なんの幸運かは分からないが、権限がある人に相談すると、割と事が早く進む。自分の仕事も、同様に権限がある人がその場で即決してくれるとスムーズに進むので、「この人に、話をしたら、なにかいい案を、この場で出してくれるかもしれない」という期待を胸に、入院時から、昨日の担当の看護師さんの事まで、事実を伝えた。

自分の体調も、感情的にならず、不安な気持ちがあるのであれば、何が不安なのか、何故不安なのか、過去にどういうことがあったのか、理由もつけて、自分の考えも伝えた。

 

担当の「主任」看護師さんは、傾聴する能力も高く、こちらの話を切らない。そして、引き出す。そして、最後に言った。「難病の申請とかもされました?よくご存じなのですね。私、担当するの、はじめてなので色々教えてくださいね。看護師さんですか?」と話した。

 

この言葉に、感動した。

「はじめてなので教えてくださいね。」
というこの一言で、「この人に話そう」、「私の知っていることは、説明しよう」という気にさせられた。

 

私も、こういう言葉をかけながら仕事をしたいと覚えておこうと思ったと同時に、また、仕事ができるのか、医療職をするには、私には余裕がなさすぎるのではないかと思って、心のうちに再度しまった。

医療の現場でなくても、こういう声かけはできるもの。医療職に就くか、戻るかは、さておき、こういう言葉かけができる支援をする現場にいたいものだ。

 

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もう一つ、最悪の気分で、起きた今朝。

朝食を食べて、薬を飲むためのお茶を、ホールまで汲みにいった。お茶を紙コップに汲んで、Nsステーションで、「朝の薬ください」と若い男性Nsに声をかけた。薬を渡された後、部屋に戻ろうと、方向転換をした瞬間に、「あっ、そのコップのやつも、〇〇さんが書いたんですか?いつも食伝に書かれてるから」と。

 

私は、食事についてくる伝票、いわゆる食伝に「ごちそうさまでした☺」とニコニコマークを書いて、食器を下げている。それを覚えている人がいたのだ。介護・介助者が多い病棟の中で、そんな小さなことを覚えて声をかけれるNsが、ここにいたのかと思うと、少し心が救われた。

ただ、昨日からのやりとりと、寝不足と、こころの荒れ具合がひどくて、「はぁ…」「書いてないですよ」そんな返し方しかできず、「(こころが死んでるなぁ。申し訳ない。)」なんて思いながら、ほんの少しだけ、救われた。

「(この人には、話が出来そうだ。)」と思った。

 

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自分自身も、病院や老健で長らく働いてきた。だからこそ、「病気を診る」のではなく「人を診る」ことを大切に思う。治らない認知症の方、治らない精神疾患の方を多く診てきたからかもしれない。

 

病院では、迅速に適切な処置ができる技術者が求められる場面、現場もある。逆に、その人の人生に寄り添い、その人の過去に寄り添い、その人の家族に寄り添い、最期まで、その人らしく過ごせるように支援をすることが必要とされる現場もある。私は、そんな現場で、長らく働いてきた。

もちろん、それを苦手とするスタッフもたくさんいた。また、相性が合わない患者さんや利用者さん、家族さんもたくさんいた。そういう場合には、担当交代をする。

 

相性が、ガッチリと合うと、中には、新婚時代からの、のろけ話を話してくれる、ご家族さん(奥さん、旦那さん)もいた。頼むと、若いころの写真を山ほど持ってきてくれて、話をしてくれ、貸してくれる人もいた。

その人が歩んできた道、若いころの表情、そんなものを感じ、それを引き出そうと、私は躍起になって、関わり方や、関わり方のコツ、介助の時のコツを評価したものだった。うまくいくと、「よっし」と心の中でガッツポーズをした。そして、それを介護士さんに伝え、うまく使ってもらう。実際に、やっているところを、なるべく、人が多いところで、「この人こんなに笑うんだね」なんて、言ってもらえたらしめたもの。

いいところを見てもらい、気付いてもらう。それでも、相性が悪く、なんともならない場合もあるけれど、その情報を上手く生かしてくれる介護士さんもたくさんいた。

 

人と人の関わり、医療も、人間がやれる限界はある。最新の研究が、すべて頭に入っている人なんていない。相性もある。その中で、人は、できることを、出来る範囲でやるしかないのだ。

 

だから、私は、出来る限り、出来ることを、健康範囲内で行う。患者になっても、支援者だった時も、やることは同じ。命を預かる現場、命を扱う現場、人生に関わる現場、そこでも、限界はあるのだ。間違いは起きるのだ。忘れてしまうことはあるのだ。

だから、苦手だ、この人とは合わない、そう思ったら、きちんと非難ではなく、事実を伝える。

 

プレドニンで、頭がいかれるまでは、なるべくそうありたいと思う。

30mgになって、3週間くらい経てば、精神状態は落ち着く。丁度、ムーンフェイスやニキビがひどくなる頃なので、落ち込むものの、また、半年後には、まともな状態に近づいて生活が出来ていると信じている。

 

今日は、学びがあった日でもあり、たくさんの人に支えられた日だった。やはり、プレドニンという薬は、色々な面で理解がしにくく、理解されにくいと感じた。この経験は、どこかで使えないものだろうか。

 

 

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夫が、何気なく、「そのマスクの色いいね」と言った。こういう一言もまた、良いものだと思うのだ。

【入院四日目】三人部屋と、病棟との相性がすごくわるい残念

入院も、四日目の夜になりました。血液中のたんぱく質の量は、入院時よりも減って2.9に。

 

残念なことに、私とこの病棟、部屋の方との相性が悪いです。

 

プレドニンの薬を増やすと、私は副作用で刺激にめちゃくちゃ弱くなります。紙粘土を、水の中に入れるくらい弱くなります。

 

病棟との相性が悪いのは、介助量の多いご老人が多い病棟ということです。高齢者が多いということは、身体介護・介助が多くなります。耳が遠い人、理解がゆっくりな人が多くなります。状態もゆっくりと回復していく人も多いので、入院期間も長くなりがち。そのため、看護師さん、介護士さん、スタッフみなさん、ゆっくり大きな声で声をかけます。

わたしにとっては、刺激が増えます。また、モニターの音、点滴の機械音、「オムツ替えますよー!」「おしも拭きますねー!」「口開けてくださーい!」と大きな声が聞こえてきます。理解が悪い方、耳が遠い方が多いため、スタッフのおしゃべりも加速します。

それ、私には聞こえてるから。夜間の笑い声も、おしゃべりの声も、よく聞こえているから。

 

ご老人たちは、眠剤でぐっすりの方も多い。

 

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三人部屋の、二人のおばーさんは、優しそうな方ではあります。でも、二人とも、よくしゃべるので、ストレスで寝不足の私は、休めません。昼間、おばーさんたちは、それぞれ寝てるけど、マジでよく寝れるね。

病棟の音も、おばーさんたちの話声も、大きくて寝れない。

おまけに、病室での電話(二人とも)、着信音なりっぱなし。

 

ストレスで、だんだん寝れなくなってきて、昨日は、2時まで寝付けず。伝えたものの、伝えた看護師さんがハズレだったのか、「病室での話し声は、仕方ないですね」「電話は、見つけた時に伝えますね」と放置宣言。

 

そのうえ、必要な服薬管理まで、プレドニンだけ行われる。理由を問うも、

「これから、薬の量が変わっていくので」

という、意味の分からない理由。何か、支援を行う際には、正当な理由が必要。そして、その支援が、必要かどうかを、こまめに評価して、本人の状態に合わせて、支援していく必要がある。「評価→実施→再評価」は行うべき業務です。業務怠慢以外の何物でもない。

 

必要ない薬を飲まされ続けるのは、よくないでしょ?
必要のない服薬管理をしていたら、服薬機能が落ちるでしょ?
たとえ話ですけど、必要なものだけ実施するべきなのです。

 

そして、病室では、安静に休める環境を提供するべき。大部屋と言っても、そのくらいは提供されるべき環境。ましてや、休めない・寝れない・疲れてきたという訴えに対して「個室なら今空いていますよ。8000円しますけど。」なんて言語道断。

必要な対応をせずに、患者サイドから、せっかく伝えられた情報を無駄にするのは、専門職としては、あるまじき行為。このようなことを続けていたら、患者から、大切な情報を聞き洩らすのです。「この人に伝えても、何も変わらない」、そう思われたら、状態変化を口頭で把握することができなくなります。

自覚症状の、語りを聞き出すことってとても大切なのです。そのための、信頼関係、対応は大切。

 

私自身が、それを大切にしてきたからこそ、何故そこをおろそかにするのか理解ができなくてたまりません。数字ばかり追って、オムツ替えの回数、便の回数、検査の結果だけ見て、人を診ることをおろそかにするのは、医療ではない。

 

そんなことをひしひしと感じるのです。

わたしは、もう、ハードな肉体労働の医療現場に戻ることは叶わないかもしれない。医療現場で、そういう、ナラティブを大切にすることを苦手とする人はたくさんいた。苦手はある。だから、ほかの得意そうな人に伝える。私ができることは、得意そうな人、理解できそうな人に伝えること。

 

個人的な私の信念ではあるのですが、状態悪化させる対応は、あまりによろしくないと思ったので、今日は綴りました。

 

医療に限界はある、だが、患者の語り、精一杯絞り出した声を、おろそかにしてはいけないのだ(多訴や、依存などほかの要因があって、評価した上で距離感を図る必要がある場合などは対応を変える必要あるが)。

 

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次に、伝える場合には、

・精神症状

・不眠

過呼吸

などの、症状が出てきていることを伝えて、対処してもらおうと思う。

気持ちの問題ではなく、「状態悪化している」と理解してもらうためにできる、私側の配慮はこのくらいしかない。