微小変化型ネフローゼ症候群、3回目の再発の入院記録

微小変化型ネフローゼ症候群の3回目の再発時の備忘録

【入院10日目】夫との話。「家族になったんだよ。」

入院10日目。

そろそろ、疲れました。本格的に。

微熱がある日もあり、今日の午後はぐったり、ウトウトしていました。気分もふわふわして、テレビもつけっぱなしで、ぼんやり。夢と現の間を、ずっとウロウロしているような午後を過ごしました。

 

LDL-Aをすると、首から上を洗うことが出来なくなるので、今日は午前中はシャワー浴。久々に頭を洗い、身体を洗い、すこしすっきり。体力を使い切ったのか、午後からは、微熱が続いています。

 

手と頭、足がとってもあっつい。でも、ほかの部分は冷える、寒い。そんな感じ。

 

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夫が、今日も面会に来てくれた。

私は、いわゆる機能不全家族という形の「集団」の中で、精神的虐待を受けながら成長してきた。それに気づいたのは、夫と結婚してから。大学時代に鬱にもなった、母親が勝手に買った車の借金も背負わされた。そんな状態で働き出した。必死で働いて、借金を返し、家を出た。

結婚するまで、それが異常だということには、気付けなかった。結婚して、ネフローゼ症候群になって、初発のベッドで「ぁぁ。死ぬときに知られたくない」と思って、縁を切る決断を出来たくらい、私は、「異常さ」に鈍感になっていた。

だから、私は、夫がいなかったら、天涯孤独。そう思ってる。たった、一人の私のはじめての家族になってくれたのが、夫だった。

はじめて、家族の温かさを教えてくれたのが、夫だった。そして、夫の家族だった。祖父母も、義理の父母も、弟夫婦も、姪っ子ちゃんも、みんな、私に家族というものを教えてくれた。

 

こんなにも、心地いいものなのか。落ち着く場所があるのかと驚いた。こんなにも、大切にしてもらえるのか。私は、何もしていなくても生きていていいんだと、はじめて思える瞬間を、少しずつ得られていった時間だった。今でも、少しずつ、「何もしていなくても生きていていい」を教えてもらっている。

何もできなくても、お金を稼いでなくても、役に立たたなくても、生きていていいんだと教えてくれる。大切にしてくれる。

愛してくれる。

 

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それでも、やはり、長年培った考え方は根深いもので、私の中には、役に立たない私や、お金を稼げない私は、生きている価値がないと思うものなのだ。だから、どこかで、それを探してしまう。ついつい、生きていなくてもいい理由を探してしまう。

今だってそうだ。

「また、フィンランドへ、オーロラを見に行きたい(でもそんなお金ない)」

「また、ディズニーランドに行きたい(そんな体力ない)」

「また、夫と一緒に、家でご飯を食べて過ごしたい(でも、治らない)」

他の人には、そんなこと思わないのに、自分に対しては、そんなことばかり与えてしまう。

 

でも、夫は、そんな私を、死なせてはくれない。

今日も、面会で、頭をなでてくれ、膝枕を頼んだらしてくれ、涙を出させてくれた。「おーいおいおいおいおいー涙が出るねー。びえーーーん、鼻炎ーーー、びえーんだねぇ。」そんなことを言って、頭をなでてくれる。

そんな、ふざけた夫婦なのだ。

 

そして、叶えられそうなことをふと口にするのだ。

「新しいおうちが建ったら、紫陽花植えたいねぇ。何色になるかなぁ。」なんて言うのだ。そんなこと言われたら死ねないじゃないか。私は、諦められないじゃないか。

 

そんなこと言うものだから、

「おうちを建てるから、私死ねないじゃん。一人で暮らしたら寂しいだろうし。」

「そんな叶えられそうなことを言うから、死ねないじゃん、諦められないじゃん。」

「薬飲まずに過ごしたら、死ねるのに。野垂れ死ねるのに。」

「私が好きな、欲しい窓枠を、注文しちゃったから死ねないじゃん。(楽しまなきゃねぇと言われた。)」

「ピアノ買っちゃったから、死ねないじゃん。諦めれないじゃん。」

「〇〇くんが、私が諦めるのを、やめさせてくれないーー(泣)。そんな、少ししたら叶えられそうなことを言うから、諦めさせてくれないーーー(泣)。」

といった具合だ。

 

そして、また「びえーーーん」とか言って、泣くのだ。そして、泣かされるのだ。

 

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「なんで、元々は赤の他人だったのに、こんなに優しくしてくれるの」と泣きながら、話した。甘えったれだと思いながらも、甘ったれた。そしたら、「家族だからだよ。家族になったからだよ」と言ってくれた。

私にも、家族がいた。

 

フォロワーさんに教えてもらって、毎日色を変えながら、心の支えにしているピンクのピッタマスクは、びっしょびしょだ。夫に頼んで、マスクとマスク越しに、キスをした。

 

私は、「はずれー」という。そうすると、夫は、そのあと、2回トライして、「ピンポーン」という。そして、私は、また泣く。(´;ω;`)

19時に今日は帰るといった、夫を結局19時40分まで引き留めてしまった。

 

最後に、夫の頭も撫でて、ぎゅっとハグをして、泣きながら、バイバイをした。それでも、笑顔で、「また明日も来るからね。」と言ってくれる。泣かせてくれてありがとう。「今日、たくさん、涙をため込んでた分だね。」と話してくれた。夫の元でなら、泣けるのだ。

 

今日のお昼ご飯なんだった?

夜ご飯、何作るの?

最近、買い物行った?

仕事忙しい?

髪の毛伸びたね。

ふるさと納税、今年はどうしよっか。

 

そんな、日常の、なんでもない会話が、私を日常に戻してくれる。病院の生活から、日常に戻してくれる。

 

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看護師さんや、お医者さんたちから声かけられる。

「お変わりないですか?」

「体調はどうですか?」

 

それに対して、私は、「大丈夫です」「変わりないですよ」と答える。でも、変わりあるに決まってるじゃん。変わりまくりだよ。昨日とお変わりないということにして、「大丈夫」と答える。

 

でも、そんなこと言っていても仕方がない。だから、私は、私の出来ることを、周りの支えてくれるスタッフにするのだ。慣れない研修医の先生が、顔を出して、会話に困っていたら、「足は…浮腫んでいないので大丈夫ですよ」と足を見せる。

 

夫からは、そんなところに気を使ってるから疲れちゃうんだよ。なんて言われたけど、「優しすぎるんだよ」なんて言われたけど、でも、それが私らしさなんだよね。そうありたい。

 

きっと、それを手放したら、私は落ち込むから、どんな時も、できることなら「私らしくありたい」。それが、今の私のささやかな願い。

 

だから、私は、夫に甘え、甘ったれ、そして、また明日を過ごす。

家族になってくれた、生きることを諦めさえてくれない夢を、私と叶えたい小さな夢を、ぽつりぽつりと語ってくれる夫。夫がいたら、私は、きっと生きることを諦められないから。

 

私の優しさをうまく利用されて、私を生かしていてくれる。夢を見させてくれる。小さな、紫陽花を一緒に植えて、それが、何色になるのか見る時間を叶える夢を叶えようと、思わせてくれる。

 

きっと、明日も、夫がきたら泣くけど、たくさん甘えて、甘ったれて、夫の小さな夢を一緒に叶えるのが私の夢なのだ。